帝王学の格言⑦「いかにあるか」について考える

「いかにあるか」

 

 

前回、前々回と同じテーマで違う角度から考察してみました。

一番はじめは、コーチとしての観点で

次に、私個人の意見として、徒然なるままに書いてみました。

 

 

 

 

今回は3回目ですが、「帝王学の格言」として考えてみます。

 

 

 

今まで書いてきたことと逆説的に感じるかもしれません。

正解を求めるのではなく、問いを持ち続けて観点を変える。

まるで、禅問答のようですが、なんかしらの力になるかもしれません。

どうぞ、お付き合い下さいませ。

 

 

 

 

「いかにあるか」を帝王として問うたとき、

 

 

 

「いかにあるべきか」にニュアンスが近いように感じます。

 

 

 

と以前も書きました。

 

 

 

その「いかにあるべきか」はどのような在り方なのか。

 

 

 

人の上に立つ立場にある方で、

内面からの人間力をもったカリスマ性のある人達に共通すること。

その共通することが、帝王としての「いかにあるべきか」なのだと思います。

 

 

 

話は少しそれるように感じるかもしれませんが、

以前も書いたように、算命学/陰陽五行論では

「ありのまま」という言葉をあまり使わないのです。

それは、帝王学の要素が多分に含まれた学問であるからです。

 

 

 

 

帝王は「ありのまま」を自分に向けて、使わないのです。

 

 

 

帝王が「ありのまま」を使うときには、外側に向いているのです。

 

 

 

目の前にいる人、周りの人達、自分が置かれた状況や環境、市場や世界、

生まれた時代、国や地域の事情などなど、、、、、

 

 

 

あげればきりがありませんが、

そういったことを「あるがまま」に受け入れるのが帝王なのです。

 

 

 

「不都合が常と思えば不都合なし」とは、徳川家康の言葉ですが、

 

 

 

世の中の不条理、不安定さ、理不尽な数々は、

当たり前であるとおっしゃっているのだと思います。

 

 

 

「思いどおり」にいくことなんて、本当に数少なく奇跡のような幸運なのです。

 

 

 

思いどおりにいかないことの方ががほとんどなのに、

それを無理して「思いどおり」にしようとするから苦しくなるのです。

 

 

 

周囲を変えようとする努力は無駄、しない方がいい、

ということを言っているわけではありません。

 

 

 

自分の置かれている環境に対して、まずは、あらがうことなく、

逆らうことなく、そのまま「受け入れる」。

とにかく、ありのままを「受け入れる」ということなのです。

それが、どんなものであっても。

 

 

 

その状況や環境の全ては、「今」の自分にとって

「ちょうど良い」のです。

 

 

 

親も、子供も、夫も、妻も、会社も、同僚も、上司も、部下も、

友達も、仲間も、ご近所さんも!!

 

 

 

もう一度言います。

ご縁の全てが「今」のあなたにとって

「ちょうど良い」ものばかりなのです。

 

 

 

今、目の前のご縁は、過去の自分が紡いできた結果でしかありません。

 

 

 

だから、全てのご縁(結果)を受け入れなさい、

と言っているのが帝王学なのです。

 

 

目の前のご縁を否定するということは、過去の自分を否定することになるから。

 

 

 

 

これは、とても厳しい視点のように感じるかもしれません。

私もこの厳しさに打ちのめされたように感じたものでした。

 

 

 

ですが、一番楽な視点でもあるのです。

誰にとっても「真実」に近いんじゃないかと思うのです。

 

 

 

 

「私たちはみな平等です。そして宇宙とは、私たちのお互い同士の関係です。

宇宙はただ一種類の実体からできていて、その一つひとつが生命を持ち、

一つひとつが自分の存在の仕方を自分で決めています」

タデウス・ゴラス著「なまけ者のさとり方」より

 

 

 

私が大好きな言葉です。

 

 

 

帝王はこういったことを明白に理解していて、

周囲の人達や状況をコントロールしようとせず、

曇りのない真っさらな目で真っ直ぐ事実だけを

見ることができる人なんだと思います。

 

 

 

みなさんも経験があると思います。

ひとつの現実に対して、見ていることやその現実に対する解釈が

人によって全く違うことを。

まるで、現実がいくつも存在しているかのように。

同じ現実に直面していたとしても、10人いたら10人の現実があるのです。

 

 

 

見ている立場や視点が変われば当然ではありますが、

実は、自分が現実だと思っていることを疑う視点もあった方がいい。

 

 

どれだけ多くの人が自分にとって都合の良いように

(あるいは都合の悪いように)物事を見たり聞いたり、

見なかったり聞かなかったりしていることか!!!!!(もちろん私も含めて!)

 

 

 

帝王とは、物事を真っさらに「ありのまま」に「そのまま」に

見ることができて、あらがうことなく、逆らうことなく、

そのままを「受け入れる」人なのです。

 

 

 

現実を真正面から受け入れて、

初めて、本当に「今、するべきこと」がわかるのです。

 

 

 

マネジメント経験のある方にとっては、

理屈ではなく身体で分かっていることかもしれません。

ですが、それがどれだけ難しいことかも、よ~く分かることと思います。

 

 

 

では、どのようにしたら、周囲の全てを「あるがまま」に

受け入れられるようになるのでしょうか。

 

 

 

瞑想する???

 

 

 

それも、有効と思います。

瞑想することで、頭の中がクリアになり心にスペースができるから。

 

 

 

ですが、やっぱり、自分の内側の声をどれだけ「あるがまま」に

受け入れてきたか、なのだと思うのです。

またまた、元に戻ってしまった感がありますね(笑)

それでも、どう考えても、やっぱり、

自分の内側の声に寛容になれるかどうかなのだと思うのです。

 

 

 

 

自分に対して「寛容」であればあるほど、

周囲に対しても「寛容」でいられるのです。

 

 

 

 

自分の内側に住んでいる、あらゆる自分に対して、

自分だけが「Yes」を言ってあげられるのです。

怠け者の自分も、鬼教師の自分も、弱くてダメな自分も、

攻撃的な自分も、恥ずかしい自分も、、、、、

「そのままでいいんだよ。」ってね。

 

 

 

そしたら、きっと少し楽になる。

 

 

 

そして、怠け者の部下や鬼教師のような上司に対しても、

「あ~、こういうのもあるよね。」という感じにサラッと受け入れられる。

 

 

 

 

いつもの自分じゃない自分、普通じゃない自分が現れたとき、

その度に繰り返し繰り返し、そういう自分が存在していることを認めていく。

 

 

 

その量が、ある一定の飽和量を超えたとき、

 

 

 

どんな状況に置かれても、物事全てをあるがままに受け入れる

帝王の自分が現れるのだと思います。

 

 

 

 

共にこの算命学/陰陽五行論を学んでいる経営者が

こんなことをおっしゃっていました。

 

 

 

 

「ここで学び初めてから、私が会議で発言することがほとんどなくなりました。

なんかしらのミス・トラブルがあったとしても、私が動くこともない。

経営者の立場というのは「ただ在るのみ」なんだと、つくづく感じています。」

と。

 

 

 

 

この方は、とある業界では有名な社長さんです。

とても安定した穏やかさを持った方です。

 

 

 

こんな暖かなまなざしで、暖かく見守ってくれる人がいる。

安心感に包まれた本領発揮できる職場になるんじゃないかな、と感じました。

 

 

 

あなたにとってなんかしらの力や栄養になりますように。

長文、読んで下さり、ありがとうございました。

 

 

感謝を込めて。

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