【セルフコーチング⑦】枠を超えた見方・考え方をする方法

今、時代は大きな変転変化の真っ只中にあることは、

誰の目から見ても明らかです。

そして、そのスピードが急速に、とてつもない早さで変わっていく、

と、皆さんも感じていることと思います。

そのような時代の変革期の中で、

私が学んでいたNLPを軸としたBeing sourceの物事の見方・考え方が、

今、このタイミングでとても力になると感じているので、紹介させて頂きます。

このコロナ渦では、よくこんな言葉を聞きます。

「今までの枠の中で考えていてはいけない。

新しい時代を作るには新しい視点が必要だ。」と。

これからの時代、

今までの常識や社会通念をひっくり返すような、真っさらにするような、

そんな物事の見方・考え方を取り入れる必要があるのは、

多くの方が切実に実感している、まさにその真っ只中にあるでしょう。

では、どのような物事の見方・考え方をしたら良いのでしょう?

逆に言うと、今まで私たちはどのような

物事の見方・考え方にとらわれていたのでしょうか?

私たちの物事の見方・考え方の多くは、

善悪価値判断を前提とすることが主流でした。

物事は善し悪しで判断され、正しいこと、間違っていることがあり、

極端に言うと良い人悪い人がいる、という考え方です。

間違ってるや悪い人に分類されてしまったら、

当然、間違っている、悪いところは治さなければいけない、となるわけです。

これは、善悪の価値判断によって、当然のこととされてきました。

そうすると、多くの人が当然、

自分が「正しい」方や「良い人」の方になる為に必死になってしまいます。

自分の「正しさ」や「善良さ」を証明しなければならないのです。

それを証明する為に「間違い」を見つけ、

「悪質」な者を探す必要がでてくるのです。

そして、同じような「正しさ」を持った人同士、

同質な者同士だと、お互いを受容し、安心安全だと感じ、

自分の居場所となるのです。

そして、その居場所の集団が大きければ大きいほど、

最高最善であると勘違いしてしまうのです。

そして、集団化した同質な者同士のグループは、

異質な者を見つけ、驚異だと言って叩いてしまう。

集団化した正義は強さを増し、強烈になるのです。

エスカレートすると子供のいじめや仲間はずれ、

偏見や差別が始まり孤立する人を生み出してしまう。

宗教観の争いや国同士の争い、

しいては戦争までをも引き起こしてしまうのです。

善悪価値判断が前提の状態だと、物事の善し悪し、得か損か、上か下か、

といったことで頭はいっぱいになります。

頭の中には常に「裁判官」がいて、人・物・事を評価判断し、

必要とあらば、裁くことに忙しくなるからです。

そして、無意識にその考え方から、行動すると、

「悪人」や「間違った人」に分類されないような

言動・行動を選んでしまうのです。

これでは、「善人」や「正しさ」という檻の中で生きているようなもの。

そして、その「善人」や「正しさ」の明確な基準値がないままに。

さらには、「悪人」や「間違った人」を必要としてしまうため、

世界に分断を生み出してしまう。正しい人と間違った人という分断を。

コロナ渦で「自粛警察」を生み出してしまうのも、

まさにこの善悪価値判断が前提であるからなのではないでしょうか。

公園で遊んでいる子供達に、「家に帰りなさい」と言い、

くっついている子供達には「離れなさい」「一人で遊びなさい。」

と言う大人達。

今までは、外で遊びなさい、友達と仲良くしなさい、と言っていたのに。

正しさの基準値なんて、その時その瞬間に変わってしまうのです。

本質的な解決策を導くには、まずは規正の概念を取り払う必要があります。

今までの枠の中で考えることをやめるために、

善悪価値判断を前提にした考え方を変えるのです。

まずは、物事や人に対しての善悪価値判断をやめて、次のように考えます。

全ての物事は、必要があってこのようになっているんだ。

全ての人が価値ある存在で、全ての人が役割を持って生まれてきたんだ。

えっ?それだけ?そんな簡単なことなの?

と感じる方もいらっしゃるでしょう。

あるいは、それはとてつもない難しい考え方で

受容れがたいと感じる方もいるかもしれません。

例えば、「農薬は悪だ。野菜は自然に作られた物が正しい」

という考えがあるとします。

実は、私も野菜はなるべくオーガニックの物を選んでいます。

これがエスカレートすると、無農薬・無添加以外のものは

一切受け付けられなくなります。

化学物質アレルギーといった状態にまでなると、

旅行も限られた場所になりますし、

当然、香水や柔軟剤の匂いがする電車などの交通機関

に乗るなんて考えられません!!

私もその状態に陥りそうになった経験があるので、

思わず事例としたのかもしれません。

その考え方にとらわれていると選択できる範囲を狭くしていき、

生きる世界を狭くする一方になるのです。

つまり、善悪価値判断が前提だと、可能性を狭めてしまい、

生きていく世界を狭くしてしまうのです。

悪い物と決めつけてしまっていた

「農薬」を先ほどの前提で考えてみるとどうなるでしょう?

全ての物事は必要があってこのようになっている。

農薬だって、必要があって生み出されたのです。

農薬が開発されたことによって、

多くの人たちを「飢え」から救った時代が確実にあったのです。

以上終わりです。

それ以上、そこにエネルギーを注ぐ必要はありません。

では、人ではどうでしょうか?

マザー・テレサとアドルフヒトラーはどちらが良い人でしょうか?

さて、この問い、今までの善悪価値判断では、

簡単に答えることができると思います。

では、新しい物事の考え方ではいかがでしょうか?

全ての人が価値ある存在で、全ての人が役割を持って生まれてきたんだ。

ゆえに、アドルフヒトラーも価値ある存在で、

役割を持って生まれてきたのです。

第二次世界大戦下の中、彼の役割は、全人類に対する

大きな「目覚まし時計」になったのではないかと考えてみるのです。

人の「恐怖」や「恐れ」を巧みに利用して支配するということが、

どれだけの影響力があるか。

そのようなことを示してくれ、後世に教えてくれたことは、

偉大な教訓になったのではないか、と考えてみるとどうでしょうか。

当然、後世に生きる私たちは彼が残した教訓を生かして、

本当に大事なことはなんなのかを考えるようになると思うのです。

あらゆる物事や人を、「善悪の価値判断」で見ることをやめる。

まずは、そこから始めましょう。

やってみると、案外、細かいことで善悪価値判断している自分

に気づくことになります。

そして、それをやめて、次のように考えます。

全ての物事は、必要があってこのようになっているんだ。

全ての人が価値ある存在で、全ての人が役割を持って生まれてきたんだ。

そのように考えると、

今まで気付かなかった無限の可能性に目を向けられるようになるのです。

今まで見えてなかった世界が見えてきて、認識できる範囲が広がります。

そうなると、自然に本質的な幸せや豊かさを追求したくなるから不思議です。

皆さんも、ぜひ試してみてくださいね。

そして、実は、私たちは多くの場面で「感情」や「気持ち」にも

善悪価値判断をもちこんでいます。

次回はそのことについて言及したいと思います。

長文読んでくださり、ありがとうございました。

感謝を込めて。

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