徒然なるままに②「何者かになろう」としなくても 

かなり減ってきてはいるものの

コーチとしてお客様と関わっている中で、

ある種の「葛藤」が起きることがあります。

 

 

 

クライアントの夢は「純粋」なものなのか。

 

 

 

それとも、「何者かになろうとする」エゴなのか。

 

 

 

ということです。

 

 

 

最近では、ずいぶんとその葛藤は少なくなったように思いますが、

 

それでも、まぁ、時々は起こります。

 

 

 

その「葛藤」が起きたときは、

残念ながら、大抵が後者の方が多いようにも思います。

 

 

 

結局のところ、夢が純粋なものだろうが、

「何者かになろう」としてのことだろうが、

結果、夢がかなえば、それで良し、ということもあります。

 

 

たとえ「何者かになろう」として、しがみついた夢だとしても、

そこから自分の役割や存在価値を実感して、

自分の居場所を感じられることもあるからです。

 

 

 

だけど、ふと思うのです。

 

 

 

実は、大抵の人は、気づいていないのです。

「何者かになろう」としなくても、

充分、ありがたい奇跡の連続で生きているということを。

 

 

 

 

ある一編の詩をご紹介したいと思います。

 

 

 

アメリカ人の女性が10歳の息子を亡くし、その悲しみの思いを綴った詩です。

 

 

 

「最後だとわかっていたら」 ノーマ・コーネット・マレック著

 

 

あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら

私はもっとちゃんとカバーをかけて

神様にその魂を守ってくださるようにと祈っただろう

 

あなたがドアを出て行くのを見るのが 最後だとわかっていたら

私はあなたを抱きしめて キスをして そしてまたもう一度呼び寄せて

抱きしめただろう

 

あなたの喜びに満ちた声を聞くのが 最後だとわかっていたら

私はその一部始終をビデオに撮って 毎日繰り返し見ただろう

 

あなたは言わなくても 分かっていたかもしれないけれど

最後だと分かっていたら 一言だけでもいい

「あなたを愛してる」と私は伝えただろう

 

たしかにいつも明日はやってくる

でも もし それが私の勘違いで 今日で全てが終わるのだとしたら

私は今日 どんなに あなたを愛しているか 伝えたい

 

そして 私たちは 忘れないようにしたい

 

若い人にも 年老いた人にも 明日は誰にも約束されていないということを

愛する人を抱きしめられるのは 今日が最後になるかもしれないことを

 

明日がくるのを待っているなら 今日でもいいはず

もし明日が来ないとしたら あなたは今日を後悔するだろうから

 

微笑みや 抱擁や キスをするための

ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと

忙しさを理由に その人の最後の願いとなってしまったことを

どうして してあげられなかったのかと

 

だから 今日 あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう

そして その人を愛していることを

いつでも いつまでも たいせつな存在だということを そっと伝えよう

 

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」

を伝える時を持とう

そうすれば もし明日が来ないとしても あなたは今日を後悔しないだろうから

 

 

 

 

この一編の詩が、いつも私に本当に大切なことを思い出させてくれます。

 

 

この詩を読むたびに、こんな風に感じるのです。

 

 

私の両親、きっと理解不能な宇宙人みたいな娘と思っているでしょう。

そんな私を産んで育ててくれて、本当にありがとうございます。

 

私の友人達 さみしがりやのくせに、一人でいたいときは引きこもり、

そんな私とずっとずっと友達でいてくれて、本当にありがとう。

 

私の上司達 せっかく教えても言うことをきかない、

思う通りに動かない部下であった私の上司でいてくださったこと、

本当にありがとうございます。

 

私の同僚達 マイペースで結局は我が道を行く私の同僚でいてくれたこと、

本当にありがとう。

 

私の後輩達 おそらく私が伝えたいことの半分も伝わってなかったと思います。

教え方が上手ではない私の後輩でいてくれたこと 本当にありがとう。

 

私の夫 とてもめんどうくさい私を妻としてくれて、本当にありがとう。

 

私のかわいい子供達、こんなに親として未熟で、

あなた達以上に子供みたいな私の元に生まれてきてくれて、本当にありがとう。

 

私と出逢って下さった全ての方達、

こんな未熟な私と出逢ってくださり、本当にありがとうございます。

 

 

 

「何者かであろう」とすること

実は私にだって、そういう時はあります。

 

 

だけど、ちょっとでも思い出したら良いのだと思うのです。

 

生きているだけで充分ありがたい奇跡の連続であること。

「何者かであろう」としてもいいけど、実は

「何者かであろう」とする必要がないということ。

そして、その方がずっと楽であるということ。

 

 

最後に、年末にもご紹介した

大橋卓弥さんの「ありがとう」をもう一度紹介します。

 

https://m.youtube.com/watch?v=pEZQ_IwvK2M

 

ここまですると、しつこく感じる方がいらっしゃるかもしれません。

それでも、「質濃く」だいじなことをだいじにするために。

 

 

 

長文、読んで下さり、ありがとうございました。

 

 

 

※掲載にあたってはお師匠様の許可を頂いております。

今月の動向(2020年1月6日~2020年2月3日)

今月(1/6~2/3)は丁丑月です。

 

 

 

火性で陰の十干「丁(ていか)」と、

 

土性で陰の十二支「丑(うし)」が

 

組み合わさった干支です。

 

 

 

 

 

丁はろうそくの炎のような灯火を表し、

 

丑は冬の湿った土を表します。

 

そのため、丁丑は「湿度の上に乗った灯火」

 

というイメージです。

 

 

 

丁丑月のポイントは以下の通りです。

 

 

 

 

 

 

◆自分に厳しく、人に優しく

 

 

 

丁丑は、前述でもあるように「冬の湿った土の上に乗っている灯火」と

いうイメージです。

想像して頂ければ分かるように、

今にも消えてしまいそうな灯火とも言えるでしょう。

ですが、冬の厳しい寒さの中、たとえ小さな灯火であろうと、

その存在は人を凍えから暖め、

心をも慰めてくれるような存在ともいえるのです。

 

丁丑月は、自分を律し、自ら厳しさの中に飛び込んでいくことで

運が開かれていきます。

 

また、厳しさの中にいても、苦しい顔ひとつ見せず

周囲の人々を暖めるような存在になること。

 

そんな存在になり、自らの徳を高めるには絶好の機会となり得ます。

 

 

◆芸術性を磨く

 

丁丑は別名「芸術家の星」です。

 

先月の丙子月も完成が磨かれる月でしたね。

 

芸術に関わる星が続いておりますが、

丁丑は音楽を聞いたり絵画観賞をするなどの受け身というよりも、

自ら、創作する側となって、芸術の世界に触れることをオススメします。

 

丁丑の姿は、いつ消えてしまってもおかしくない湿度の上に乗った灯火です。

その姿は、孤高の芸術家の心境に似ているのです。

 

自分自身の想いをを言葉以外の方法で表現することを試してみる、

そんな機会にしてみたら良いかもしれません。

 

 

◆人にお尽くしする(ただし無理はしすぎない)

 

丁丑の月は分け隔て無く、来る物を拒まず、

目の前の人に最善でお尽くしすること、をやる絶好の機会です。

 

灯火は寒い冬の日に、近寄ってきた人達全てを暖めます。

自ら、そのような存在になるのです。

たとえ、自らの灯火が消えようとも最後まで、

周囲の人を暖めるような存在が丁丑なのです。

 

ですが、人に尽くし過ぎて、本当に倒れてしまっては元も子もありません。

無理は禁物です。ほどほどになさってくださいね。

 

 

以上、丁丑月のみで見たポイントです。

ご自身の天中殺や個人の運気など、

個人の宿命によってテーマは変わってきますが、

これらを心に置いてよりよい在り方を探究していただければ幸いです。

 

 

長文読んでくださり、ありがとうございます。

 

 

感謝を込めて。

 

※掲載にあたっては、お師匠様の許可を頂いております。

運気アップ術④ 年末年始にやりたい大事なこと

きっと毎年、年末にはこのことをお伝えするのだと思います。

 

算命学/陰陽五行論を学んで7年目。

 

毎年、お師匠様から頂いている課題です。

 

 

それは

 

 

 

「両親に感謝の気持ちを伝えること」

 

 

 

ただ、「ありがとう」と伝える。

 

 

この「ありがとう」は何かを貰ったり、

やってもらったお礼ではなく、

 

ただただ、「存在」に「ありがとう」と伝えるのです。

 

 

 

そう考えると、とてもシンプルなことなのに、

難しく感じるかもしれませんね。

 

 

「産んでくれて、育ててくれてありがとう」かもしれませんし、

「お父さん、お母さんの子供に生まれて良かった。ありがとう。」

かもしれません。

「お父さん、お母さん、生きていてくれて、ありがとう。」

かもしれません。

 

 

少し、恥ずかしい気持ちになったり、

関係性によっては、とてもそんなことできない!

と感じられる方もいらっしゃるでしょう。

 

 

けれど、「伝えたくても伝えられなくなる時」は必ずやってきます。

 

 

大切なことを大切な人に伝えられる時に、ぜひ伝えて欲しいのです。

 

 

もし、ご両親のどちらかがご存命で無ければ、片親でも構いません。

 

ご両親がすでに他界されている方であれば、兄弟姉妹に伝えても構いません。

 

それも叶わないとしたら、御霊に「ありがとう」と念ずるだけでも良いのです。

 

 

 

できれば、対面で、面と向かって。

 

帰省が出来なければ、電話や手紙でも良いのです。

 

 

以前、私のコーチにこんなことを言われました。

 

「人が変わろうと決心したとき、

実はほんのちょっと角度を変えるだけで良いんだ。

だけど、そのほんのちょっとを継続して、

その、ずっと先は今までとは違うステージにいるのが分かる。

航海中の船は、ほんのちょっと角度を変えるだけで

目的地を変えることが出来るのと同じように。」

 

 

この言葉がとても印象に残っているのは、

私が信条としていることに近かったからと思います。

 

 

人は「変わりたい」と思った瞬間から変わることができます。

 

それは、例えば、転職する、引っ越しする、結婚する、離婚する、というような

大きなライフイベントを起こさなくても、

自分自身の内側をほんの少し変えるだけで良いのです。

 

 

両親や家族に「ありがとう」を伝えること。

 

 

それも、そのひとつのきっかけになると思うのです。

 

 

 

だから、特に、日頃離れて暮らしていて、

ほとんど実家に帰省されていない方ほど、試してみて欲しい。

 

 

 

きっと、清々しい晴れやかな新年のスタートになることと思います。

 

 

最後に、毎年年内最後の授業で流してくれる映像をご紹介します。

 

大橋卓弥さんの「ありがとう」です。

https://m.youtube.com/watch?v=pEZQ_IwvK2M

 

 

長文、読んでくださりありがとうございました。

 

※掲載にあたってはお師匠様の許可を頂いております。

今月の動向(2019年12月7日~2020年1月5日)

今月(12/7~1/5)は丙子月です。

 

火性で陽の十干「丙(へいか)」と、

水性で陽の十二支「子(ねずみ)」が

組み合わさった干支です。

 

 

丙は太陽を表し、

子は冬の大海、大河を表します。

そのため、丙子は「冬の太陽、海に浮かぶ太陽」

というイメージです。

 

丙子月のポイントは以下の通りです。

 

 

 

◆想いを分かち合う

 

丙子月は、自ら自分の考えや想いを周囲の人に伝達し、

想いを分かち合うことで吉となります。

現実を動かすためには、まず自分の想い・考えを伝えることです。

想いとは、夢や願望、願い、希望、やりたいこと、やるべきこと・・・等々

 

自分の使命(魂の声)を生きていると、「生きがい」を持っている、

あるいは、「生きている」という実感を強く感じられます。

それには、まず、自分が何をやりたくて、

どう生きたいのかを知ることからです。

そして、それを周囲の大切な人達に伝えるのです。

 

年末年始で家族や親戚などと一緒に過ごす時間が多くなることと思います。

今まで、なかなか自分の考えなどを言葉にしてこなかった人も

この機会に大切な人達に想いを伝えてみましょう。

新しい年の抱負や目標といったものでも良いと思います。

 

もう一度言います。

 

想いを伝えて、初めて「現実」が動き出すのです。

 

気持ち新たに新年を迎えられますように。

 

 

◆感性を磨く

 

丙子月は心がとても敏感に感じやすい月でもあります。

そのようなときには、感性に磨きをかけるのにいいタイミングです。

 

音楽や美術といった芸術に触れることで感性を磨きましょう。

また、まだ残る紅葉を愛でに、近所の公園などを散歩してみても良いでしょう。

 

感動することは、人間特有にもった資質です。

感動する心があるからこそ、人間らしいとも言えるのです。

 

感動して、心を動かすこと。

今月は、そのことを意識してみましょう。

 

 

◆直感が働きやすい

 

丙子の月は直感力が冴えてきます。

 

普段は、想いも寄らないような考えや

イマジネーションがふと浮かんでくるのです。

 

そのような時は、好機です!

その直感を信じて、突き進んでみてください。

 

直感で動く、とはあれこれ考えずに、感じたままに動くのです。

くれぐれも、考えすぎて動き出せなかったとなりませんよう。

 

 

 

以上、丙子月のみで見たポイントです。

 

ご自身の天中殺や個人の運気など、

個人の宿命によってテーマは変わってきますが、

これらを心に置いてよりよい在り方を探究していただければ幸いです。

 

 

長文読んでくださり、ありがとうございます。

 

 

感謝を込めて。

 

※掲載にあたっては、お師匠様の許可を得ているものです。

今月の動向(2019年11月8日~12月7日)

今月(11/8~12/7)は乙亥月です。

 

 

木性で陰の十干「乙(おつぼく)」と、

水性で陰の十二支「亥(いのしし)」が

組み合わさった干支です。

 

 

乙は草花を表し、

亥は冬の小さな池を表します。

そのため、乙亥は「冬の浮き草、水上寄生の木」

というイメージです。

 

乙亥月のポイントは以下の通りです。

 

 

◆新しいチャレンジに吉

 

 

乙亥月は、自ら不安定な中に飛び込む事が吉になります。

 

今まで誰も取り組んでこなかった

全く新しいことをスタートさせるのに、良い月と言えるでしょう。

 

スタートをさせるのに良い月だからといって、

何もかもが思い通りにスムーズにいく、という事とは違います。

新しいチャレンジというのは、追い風、向かい風、浮き沈み、

良いことばかりではなく、あらゆる苦労や困難も待ち受けているものです。

そのような浮き沈みを受け入れ、一喜一憂でず、

「不安定な方が安定する」くらいのドーンとした気持ちでいると

心が強くなり、希望の扉が開いていきます。

 

 

 

  • 学問、芸術を楽しむ

 

乙亥月はとても頭の回転が早くなる月でもあります。

 

論理性に磨きをかけるのにいいタイミングです。

 

学問の秋、芸術の秋、といわれるように、

秋の夜長を自分を高める勉学に集中してみるのはいかがでしょう。

 

 

 

◆風邪に気をつける

 

暦では初冬にあたり、日々寒さが増してきています。

体調の変化も気をつけたいところです。

風邪はひき始めのうちに、しっかり養生しましょう。

 

また、乙亥月は隠れた持病が表に出やすい月でもあります。

ただの風邪だと甘く見ず、少しでも様子がおかしいと感じたら、

信頼できる医師に診てもらうことも大切です。

風邪の症状に隠されていた持病を発見するかもしれません。

 

 

 

以上、乙亥月のみで見たポイントです。

 

 

 

ご自身の天中殺や個人の運気など、

個人の宿命によってテーマは変わってきますが、

これらを心に置いてよりよい在り方を探究していただければ幸いです。

 

 

 

長文読んでくださり、ありがとうございます。

 

 

 

感謝を込めて。

帝王学の格言⑩「運も実力のうち」という真実

こちらのページを覗いてくださって、ありがとうございます。

 

 

「運も実力のうち」という言葉があります。

これが、算命学と帝王学、両面から見て、

あ~、本当にその通りだな、とつくづく感じるので、

今回は「運も実力のうち」をテーマにしたいと思います。

 

 

 

さて、そもそも「運」とはなんなんでしょうか?

 

 

 

たまたま得たラッキーな出来事、という解釈もあるかもしれません。

 

 

しかし、算命学の学問上、しっかりした方程式があるので、

ご紹介したいと思います。

 

 

注意:算命学では、「運」=「運命」と表記しています。

 

 

 

運命=(宿命+環境)×生き方・在り方

 

 

 

運命とは宿命(生まれ持った資質・才能・使命等)と環境を足し、

生き方・在り方をかけ算してできあがったもの。

 

 

 

宿命は生まれ落ちた生年月日で知ることができますが、

変えることはできません。

 

環境も生まれ育った場所・両親・兄弟の有無・教育などから、

自然と身の回りに在る存在で、多大な影響を受ける子供時代の環境は

自らコントロールできるものではありません。

 

 

 

ですが、算命学では、宿命も環境も、運命をつくりだす25%と考えています。

 

 

つまり、生き方・在り方が50%を占めるのです。

 

 

この生き方・在り方によっては、

後年の「環境」を自ら創り出すことも可能になります。

 

 

そう考えると、「自ら運命を切り開く」という言葉もしっくりくるものですね。

 

 

 

 

 

さて、「帝王学」の観点でみたときには、どうでしょうか?

 

 

帝王学では、良く「ご縁を積み重ねなさい。」と言います。

 

 

ここでいう「ご縁」とは一般的に指す「人とのご縁」だけではありません。

 

 

「ご縁」はあらゆるものと結ぶことができるのです。

 

 

例えば、学問、知識、智惠、といったものもそうですし、

仕事をする上での、技術、専門性、資格、などもそうです。

仕事でいえば、日々の種まきといった営業活動もあてはまります。

積み重ねてきたキャリアそのものも「ご縁」です。

そして、人脈はもちろんですが、

あらゆる人間関係の中で揉まれた体験・経験も、ご縁なのです。

 

 

「因縁」という言葉があります。

 

ご縁を結ぶというのは、「因」をつくるということ。

 

「善因縁」を積み重ねれば、それが廻り巡って自分に返ってきます。

 

そのとき、私たちは「運が良かった」などと解釈します。

 

 

 

不本意にも「悪因縁」を積み重ねても、

やはり、同じように廻り巡って自分に返ってくるのです。

 

 

そのとき、私たちは「運が悪かった」「縁が無かった」などと解釈するのです。

 

 

 

「運も実力のうち」という言葉を紐解いてみると、

 

いかに「運」を味方につけるような「ご縁」を積み重ねてきたのか、

ということにあるように思うのです。

 

 

 

そもそも、「運」はその準備をしてきた人の前に現れます。

 

前述でいう積み重ねてきた「ご縁」によって「運」が現れるという感覚です。

 

ですが、それだけでは、「運」を掴むことは出来ません。

 

「運」がやってきた時に、それを掴む勇気があること、

 

その掴みとった「運」を手放さないように、傲慢にならず謙虚でいること。

 

そして、日々、当たり前のことを努力し、自らを律し続けること、

 

あらゆる要素が複数集まって、結果、「運が良かった」となるわけです。

 

 

 

「運も実力のうち」という言葉は、改めて、真実だな~と感じてしまいます。

 

 

 

「運も実力のうち」をググったら、北野武さんのこんな言葉が出てきました。

 

なるほど!と思うことばかり。参考までに引用させて頂きます。

 

 

~~~「名言と向き合う」北野武氏より~~~

 

 

『昔から『運も実力のうち』なんて言葉があるとおり、おいらも所詮人間の成功なんて運があるかどうかに尽きると思ってる。』

 

『天才とは、運と才能と、あと努力。ごく普通のことを人一倍やった人だよ。そして運は必要だよ。』

 

例えばたけしの時代に、『お笑いブーム』というものがあったかもしれない。

そしてブームは去り、また訪れて、去り、を繰り返すのかもしれない。

『何でも好き放題やっていい時代』と『自分の芸風』がマッチして、未踏未達を開拓する革命児という異名もほしいままに出来るから、

確かに、その時代、その波、その状況でしか力を存分に発揮できず、後につづくものは、たとえそれよりも革命的なことをやっても、

最初のその人たちを追い越せない、という状況はあって、それはやっぱり『運』と答えた方が、わかりやすいのかもしれない。

 

 

だが例えば、ブームが去ったその後に、ダウンタウンが漫才をやるという時は、既に焼け野原のような状態だった。

そして、そこから這い上がって、時代を築いてきたのが、ダウンタウンなのである。

だとしたら、『運』というのは、『運命』ではなく『気運』のことであり、気運ならば、自分の気持ち一つで巻き起こすことが出来る。

それこそが『運も実力のうち』という言葉の正体であり、何もないところに波は立たないのである。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

長文、読んでくださり、ありがとうございました。

 

 

 

感謝を込めて。

帝王学の格言⑨最幸のあり方

前々回、

 

「幸せになる」という表現から「幸せである」という表現に変えて

 

現実を捉え直してみる、という観点をご紹介しました。

 

そして、前回はどうしたら「幸せである」人になれるのか、

 

について考察してみました。

 

まずは、シンプルに

 

自分自身に「幸せ」であることを許可する、ということ。

 

何かを達成しなくても、幸せであっても良いのです。

 

幸せは努力の先にあるもの、ではなく、「今ここ」で感じても良いのです。

 

幸せを「先送り」にしなくても良いのです。

 

 

 

 

そして、今回は帝王学の観点で「幸せである」とはどういうことか、

 

を考察したいと思います。

 

 

 

 

帝王学で言っていることも、実は、いたってシンプルです。

 

 

 

 

「エゴや我欲を捨てて、傲慢にならず、謙虚に、

ただただ、目の前の人にお尽くししなさい。」

 

 

 

 

帝王学では、いつも、このことを角度や言葉を変えて言っているのです。

 

 

 

 

これを本当にまっさらな心で純粋に実直に行動できたとしたら、

これほど幸せな生き方はないんじゃないか、と思うのです。

 

 

 

エゴや我欲は過去の痛手から生まれた思い込みや将来への不安によって拡大し、

人間関係における不必要なしがらみで拡散、肥大化していきます。

 

 

 

そのエゴや我欲を捨てることができたなら、

どんなに楽に自然に生きられることか。

 

 

 

 

他者が到底気付かない視点の高さや知見の広さを、

傲慢にならず謙虚さをもって、人に伝えることができたなら、

どれほど多くの人に影響を与えられるだろうか。

 

 

 

 

無我の境地で、ただただ一所懸命に、目の前の人にお尽くしする、

こんな風に生きられたら、奉仕貢献する喜びに満ち溢れるのではないだろうか。

 

 

 

 

人は「利己的」に生きるよりも、

「利他的」に生きた方が

幸せでいられると思うのです。

 

 

 

人に尽くす前に、まずは「自分」から、という考え方もあります。

それはそれで、良いと思うのです。

自分を満たすことはとても大切ですから。

 

 

 

ただ、「帝王」として、自らの人生や時代を切り開いていくということは、

自分=他者であり、他者の幸せ=自分の幸せ

と感じらるのではないかと思うのです。

 

 

 

 

これを本当に純粋に心の底から実感できて、実行に移せる人がいたら、

なんて幸せなあり方なんだろう、と思うのです。

 

 

 

 

最も幸せなあり方、最幸のあり方は、

 

「エゴや我欲を捨てて、傲慢にならず、謙虚に、

ただただ、目の前の人にお尽くしする。」

 

を純粋に実行する人、なのだと思うのです。

 

 

 

 

シンプルで簡単そうに思えて、難しいようにも感じます。

 

 

 

 

でも、やっぱり簡単なんじゃないかな、とも感じます。

 

 

 

 

子供のころに無我夢中になって、遊びに集中した体験。

 

学生時代の部活動などで、チームのために我を忘れた体験。

 

世の中を良くしようと開発に集中したフロー体験。

 

 

 

 

「無我」の境地。

 

 

 

 

そこには過去のしがらみも、未来への不安もなく、

 

 

 

 

やっぱり、「今、ここ」だけに完全にある状態。

 

 

 

「エゴや我欲を捨てて、傲慢にならず、謙虚に、

ただただ、目の前の人にお尽くしする。」

 

 

 

私は正直、できているときもあるけれど、できていない時がほとんどです。

 

 

 

でも、できている時は、本当に幸せだったと思えます。

 

 

 

であれば、できている時を増やすのみ!!精進するのみですね。

 

 

 

 

長文読んでくださり、ありがとうございました。

 

 

 

感謝を込めて。

今月の動向(2019年10月8日~11月7日)

今月(10/8~11/7)は甲戌月です。

 

木性で陽の十干「甲(こうぼく)」と、

土性で陽の十二支「戌(いぬ)」が

組み合わさった干支です。

甲は大木を表し、

戌は晩秋の乾いた土を表します。

そのため、甲戌は「落葉の樹木、秋山の木」

というイメージです。

甲戌月のポイントは以下の通りです。

 

 

◆体力の消耗に注意

 

甲戌月は、肉体的に疲れやすくなります。

体力が課題となりますので、エネルギーの消耗に気をつけましょう。

反面、学問や芸術、哲学世界においては、独自の領域を発揮できます。

今年は、スポーツの秋というより、芸術の秋を楽しむとよいかもしれません。

とはいえ、運動をしないほうがいいということではありません。

甲戌月は、 あたたかさを加えることで運気が上がります。

運は動より生ず。

健康のためにも、運気上昇のためにも、体を動かすことは大切です。

やりすぎるとエネルギーが枯渇して動けなくなりますので要注意です。

運動以外でも、温かい飲み物を飲んだり、湯船につかるなど、

体を冷やさない工夫を心がけてみてください。

 

 

◆きっかけづくりを

 

今月は、物事を始める『きっかけ』づくりやスタートに関わると良い月です。

頭の回転が速くなるので、初期段階でのトライ&エラーを試す機会にしても。

みんなで一緒にやるのではなく、ひとまず一人でがむしゃらに動くところ

から始めるのがのが吉です。

成功の反対は失敗ではなく、何もしないこと。

変転変化が求められるこの時代に、

まだこの世にない価値が生まれる月になるかもしれません。

 

 

◆秋を美味しく楽しむ

 

前述の「あたたかさ」の加え方を、伝達本能である火性(鳳閣星・ 調舒星)の

観点で捉えると、旬の食べ物を美味しくいただくことや、

秋独特の繊細な季節のうつろいを楽しむこともよいと解釈できます。

 

今月は秋の土用で、丑の日は31日(木)です。

季節の変わり目で、体力に課題の出やすい月ですので、

鰻などのスタミナのつくものを食べるのはとてもおすすめです。

さらに、いつもとは違った秋を堪能するプランを

立ててみるのもいいかもしれません。

 

以上、甲戌月のみで見たポイントです。

 

ご自身の天中殺や個人の運気など、

個人の宿命によってテーマは変わってきますが、

これらを心に置いてよりよい在り方を探究していただければ幸いです。

 

長文読んでくださり、ありがとうございます。

 

感謝を込めて。

【セルフコーチング⑤】「幸せになる」から「幸せである」へ

前回、

「幸せになる」という表現から「幸せである」という表現に変えて

現実を捉え直してみる、という観点をご紹介しました。

少し復習すると、「幸せになる」という言葉は、

「今は幸せでなく、未来に幸せになる」ということが

無意識・無自覚に表現として含まれてしまっているからです。

さらに、「○○を手に入れれば、幸せになる」あるいは、

「○○を達成すれば、幸せになる」というように、

こちらも無意識・無自覚に幸せを条件付きにしてしまっているのです。

「幸せになる」という表現と「幸せである」人の違いは

「今、ここ」「今、この瞬間」を幸せと感じられるかどうか、なのです。

「幸せである」人は幸せを先送りにしないのです。

それでは、「幸せである」人は目標を立てることや

何かを達成することをしないのでしょうか?

いえいえ。「幸せである人」ももちろん、

人生を豊かに有意義にするような目標や目的を持つこともあります。

ただ、「幸せになる」人が目標や目的が達成できたら幸せになるのに対し、

「幸せである」人は、プロセス、課程そのものを楽しみ、

その中で起きる小さな達成感や充実感を幸せとして味わっているのです。

それでは、どうしたら、「幸せである」人になれるのでしょう?

答えはいたってシンプルです。

「幸せである」ことを許可するのです。

あなたがあなた自身に「幸せである」ことを許すのです。

「幸せである」ことを許可するにはこんな言葉が力になります。

「私は、私が幸せであることを許します。」

「私には、幸せである価値が充分にあります。」

「私は私を幸せにする力を持っています。」

「私は、幸せを感じるに値する人間です。」

「私は、今、この瞬間から幸せを見つけることが出来ます。」

「私は、喜びや楽しみ、嬉しさを実感でき、味わうことができます。」

「私は私を愛しています。」等々・・・・・

これらの言葉をスッキリと受け入れられますか?

それとも、なんだか胸がザワザワしたり、くすぐったい気持ちになったり、

なんとなく受け容れ難いような気持ちになったり、

イライラとする気持ちが起きたりしませんでしたか?

私の経験上、自分を厳しく律し、常識人として、

正しく生きてきた40代・50代の特に高学歴の方達は、

なかなか受け入れられない言葉であるような気がします。

子供の頃から、

「将来のため」「将来のため」と勉強やスポーツに頑張ってきた方達。

良い大学に入るために、寝る間も、友達と遊ぶ間も惜しんで勉強して。

良い大学に入ったら、今度は、良い企業に入るために、

またまた勉強や部活動に熱中して。

良い企業に入ったら、今度は、誰よりも早く昇進しようと躍起になり、

良いポジションを目指して。

良いポジションを得たなら、今度は老後の安定の為に、

少しでも長く会社に在籍できるよう社内政治に奮闘して。

とにかく、

「将来のため」「将来のため」と子供の頃から言われ続けたのですから、

「幸せになる」ために努力をするのは当然と感じていらっしゃるでしょう。

あるいは「幸せ」とは、努力しないと手に入れられないもの、

と感じているかもしれません。

今、目の前にある幸せを実感する間もないほどに、

真面目に真摯に、駆け抜けて頑張って、一生懸命に生きてきた方達。

そんな駆け抜けてきた方達も、少し立ち止まってみませんか。

今、目の前にある「幸せ」を感じても良いのですから。

「幸せ」を感じる力は誰もが充分に持っていますし、

誰もが「幸せ」になる価値があるのです。

五感を開いて、「幸せ」とはどういう感覚なのか味わってみてください。

都会の中にある小さな自然に感動したり、

暖かいミルクティーにほっとしたり、

雨上がりの土の匂いを嗅いでみたり、

初秋の心地よい風を肌で感じてみたり、

街路樹からこぼれる日差しの美しさを眺めたり。

何かの大きな目標や目的に向かっているという充実感。

今、目の前にある小さな目標をひとつづつクリアしていく達成感。

大きな壁にぶち当たったときに、苦しみながらも耐え抜いた自信。

時には、手を差し出して助けてくれる人や、指導してくれる人の存在。

お互いに励まし合い、慰め合いながら苦境の中を共に行く仲間との出会い、

等々。

これも全て「幸せ」であるのです。

何かを達成しなくても、「幸せ」を感じても良いのです。

そして、「幸せ」を感じられる人は

誰かを「幸せ」にすることができる人でもあるのです。

だけどね、「幸せである」ことをどうしても許可できなかったら、

「幸せになる」ために頑張るという選択をしても良いのですよ。

それが、あまりにも自然に身についた生き方だとしたら、

それはそれで良いのです。人生に正解はありませんから。

少しでも、誰かの力や栄養になりますように。

次回は「帝王学」の観点で「幸せである」ことを探求したいと思います。

長文読んでくださり、ありがとうございます。

感謝を込めて。

【セルフコーチング④】少しでも「幸せ恐怖症」と感じたら・・・

私が「幸せ恐怖症」という言葉を知ったのは、あるクライアントさんからの

「わたし、幸せ恐怖症かもしれないです。」という発言からでした。

幸せな状態が不安でたまらなく、幸せだと心が落ち着かなくて、

逃げ出したくなったり、壊したくなるのだそう。

ん?それって、結婚が近づくにつれ不安になる「マリッジブルー」

も当てはまるような気がしてしまいます。

では、どういう状態が幸せ恐怖症なのか、

セルフチェックがあったので、こちらも記載しておきます。

①今までにこの世からいなくなりたいと思う程の辛い経験がある

(失恋・挫折・トラウマなど)

②幸せになるといつまで続くか不安になる

③自分以外誰も信じられない

④友達から恋人に発展できない(恋に踏み出す勇気がない)

⑤マイナス思考で自己肯定感が低い

⑥一人が気楽で、皆と一緒に楽しむことが苦手

⑦楽しい時間を過ごすと不安になる(そわそわしてしまう)

⑧幸せでもないのに、幸せそうなオーラを出したり、演技をしてしまう

⑨自分だけが幸せだと申し訳ない気持ちになる

⑩今の幸せが「夢なんじゃないか」と錯覚してしまうことがある

以上の中で1つでも当てはまる項目があれば、

幸せ恐怖症の疑いがあるのだそうです。

また、幸せ恐怖症予備軍とも考えられるのだそうです。

んんん???

1つでも当てはまったら、「幸せ恐怖症」の疑いや予備軍になってしまうの?

こんな風に具体的に認識したことはなかったけど、

幸せになると不安になるのは、私にも心当たりがあります。

②幸せになるといつまで続くか不安になる

って、誰でも少しは感じるものかと思ってました。

あとは、

⑧の幸せでもないのに、幸せそうなオーラを出したり、演技をしてしまう

も当てはまりそうです。

営業マンとしての仕事が長かったため、

なんとなく幸せそうに振る舞ってた時期があったような気がします。

幸せそうな方が説得力が増すと無意識に思ってたのかしら。

⑨自分だけが幸せだと申し訳ない気持ちになってしまう

なんかは、

身内や親しい友人などが厳しい状況にあると、

自分の幸せな状態が申し訳なくなって話せなくなったり・・・。

「幸せ恐怖症」は程度の差こそあれ、誰が感じてもおかしくない

一般的な心理状態なのかもしれません。

では、どのようにしたら、「幸せ恐怖症」を少しでも克服できるのでしょう。

一般的な方法としては、

・自己肯定感を高める、

・なんでもポジティブに前向きに考える

・感謝の気持ちを伝える

などがあるそうです。

ですが、ここでは、もう少し違う観点で考察したいと思います。

そもそも、「幸せになる」と考えると実は、難しいかもしれません。

「○○になる」という表現が、すでに未来を指しているからです。

現在はそうではないけれど、いつかは幸せになれる、

というようなニュアンスが無自覚に含まれてしまっています。

あるいは、「幸せになる」という表現には、

これまた無自覚に「条件」も付いてしまうものなのです。

「○○大学に合格したら、幸せになる」

「○○の仕事を手に入れたら、幸せになる」

「素敵な彼氏が出来たら、幸せになる」

「結婚したら、幸せになる」

「子供が出来たら、幸せになる」

「2人目が出来たら、幸せになる」

挙げ句の果てには「定年退職したら、自由になって幸せになる」等々・・・

「幸せ」がどんどん先送りになってしまいませんか?

これは、NLPを主軸にしたBeing sourceという学びで得た考え方です。

この学びでは言葉に含まれる些細なニュアンスを、とても大切にしています。

それでは、どうしたら良いのでしょう?

「幸せになる」ではなく「幸せである」

と考え方を変えてみるのです。

「幸せである」とは、どういう感じがしますか?

「今、この時」あるいは「今、この瞬間」「今、ここ」

に焦点が当たっているのが伝わりますでしょうか?

「幸せである」人は、幸せを先送りにしません。

「今、ここ」に幸せを見いだせるからなのです。

「幸せである」人は、幸せを条件付きにしません。

周囲の情報に惑わされず、自分の魂が喜ぶ選択をするからです。

「幸せになる」から「幸せである」に表現を変えてみてください。

「幸せになりたい」から「幸せでありたい」と考えてみてください。

周囲の見え方が少しづつ変わっていくかもしれません。

あなたが幸せでありますように。

次回は「幸せである」ためのヒントを紹介したいと思います。

長文読んでくださり、ありがとうございました。

感謝を込めて。