プロフィール

プロフィール

短大卒業後、ツアーコンダクターを経て、(株)リクルート入社。ブライダルカンパニーにて『ゼクシィ』媒体の営業に従事。西東京エリアを担当し、「ゼクシィ山梨特集」の立ち上げメンバーとなる。山梨を一人で担当したことから、マーケット全体を俯瞰する力を身につけた。その後、都内ホテル・式場担当へ。営業活動を通じ、事業戦略や現場での戦術、商品力以上に「人の原動力」こそが業績を生み出すと実体験として痛感する。

(株)リクルートを退職し、改めて(株)リクルートコミュニケーションエンジニアリングに入社。人と組織の「無限の可能性」、まさに人智を超える奇跡の連続を目の当たりにした。企業の生命線である強み=競争優位性、つまり経営そのものが「人」に直結すると身体に刻印される経験となった。「人」に直接、より深く関わることで経営の役に立てると強く確信する経験となった。

リクルート退社後、結婚。フリーのパーソナルコーチとして独立。主に企業のマネジメント層に関わる。趣味として学んでいた算命学/陰陽五行論とコーチングの統合を考え、現在は「算命学コーチング」という形でセッションを行っている。自身の精神的成長はコーチとしての在り方に直接繋がっているからこそ、日常で自己研鑽し、自分の内面(精神)を磨き続けたいと考えている。そんな精神的成長とビジネス世界の架け橋でありたいと願っている。

私のストーリー

一念岩をも通す~コーチングと出会って~

29歳でコーチングに出会い、私の人生観が大きく変わりました。私が本当に心からやりたいことは何だろう、私にとって幸せな人生ってどういうものなんだろう、というような「問い」を持つようになったのです。

その頃、リクルートでゼクシィ営業をしていたことを思うと、世間的に見たらかなり恵まれた環境に身を置いていたはずでした。

でも、どこかで「今の自分は本当の自分ではない」という思いがあったのです

コーチングに出会って、大きく変わったのは、「自分の人生の舵を、自分で握り直した。」ということだと思います。

例えそれがどんな茨の道であろうとも、自分がやりたい方、身体がうずく方、魂が喜ぶ生き方をする。安全領域から一歩前に進んで。

リクルートという会社は「おまえはどうしたいんだ?」とよく聞かれる稀な会社であったにも関わらず、なのです。

自分がどうしたいかよりも、「どう見えるのが良いか」を考えてしまうのです。しかも、無意識・無自覚に。

そんなとき、社内のグループ研修で、すごいファシリテーションをする方に出会ったのです。

漠然とした思いではあったものの、その頃、

「個人の価値観を大事にしながら、組織で活き活きと働くには」

といったことを自分自身のテーマにしていたように思います。

その方は、その答えを持っているように感じたのです。ランチにお誘いし「あなたの部下になるにはどうしたら良いですか?」とかなり直接的にぶつけました。
このことは、私の人生の中でも1,2位を争うかなり挑戦的な行動だったと思います。その後、その方が所属するリクルートの子会社の社長と役員にお会いすることができました。

しかし、その会合で突き付けられたのは「成功している社員は「35歳以上、HR出身、マネジメント経験がある、男性」である」という言葉。

当然、どれも当てはまりません。たとえ入社できたとしても、「成功する確率は0に近いですよ」と言われているようなものでした。この時点で、断られていると認識もできたはず。

ですが、「営業は断られてからが本当のスタート」というような営業魂に火が点いてしまい、

「これはチャンスだ!!」

と思い込んだのです。

思い込んだら猪突猛進。

試用期間3ヶ月の間にお客様にアポイントを取ることができたら入社を認めます、という条件を引っ張り出すことができました。

結果、3ヶ月後に見事入社。人間というのは、思い込んだら奇跡を生み出せるもの。

まさに「一念岩をも通す」体験となりました。

この奇跡体験は、入社後もまだまだ続いていきます。

いざ入社してみると、そのグループはリクルートの中でもかなりのエリート集団であること、創業社長の江副さんから直々に営業指導を受けていた方たちがいること、ほとんどの方がリクルート事件前後の入社であること、などが分かりました。

その中で女性は私ただ1人。今、思うと、良く入社できたものです。その頃はただ我武者羅に無我夢中で仕事をしていました。たくさんの大変な思いもありましたが、社内の先輩方やお客様は素晴らしい方達ばかりで、ここで仕事をした経験は私の人生の中でもかけがえのない宝になりました。

この会社での体験で「どの瞬間にもひとつだけある、大切なこと」をしっかり抑えるような感性が磨かれたと思います。まさに、大事なことは全てリクルートに教わった、と心から言える経験になりました。

そして、周囲の予想を反して、同期の中で営業成績を比べると、ずば抜けて吐出した数字を上げていました。

「好きこそ物の上手なれ」という言葉がありますが、その時の私の心境は

「夢中こそ物の上手なれ」

という感じです。

このときの奇跡の連続は、とことん自分自身と向き合っていたことにあったと思っています。

「私はどうしたいのか、いかにありたいのか」

という「問い」を常に持っていたように思います。

これは、コーチングでとことん向き合っている「問い」でもありました。逆に、世の中や周りの人から見て良い仕事、かっこいい肩書きには、もう全く興味をもたなくなっていました。

さて、算命学からみたこの時期を推察したいと思います。

自分の現状・実力・能力からみたら、到底入ることの出来ない会社に転職でき、しかも、入社後も同期の中で、ずば抜けた営業数字をたたきだしました。

にも関わらず、2年後、自ら退職することを決めました。これも全て宿命だったな、と算命学を学んだ今となっては一目瞭然です。この奇跡のような出来事は実は天中殺期間と重なっていたのです。

天中殺とは幸運・不運の限界がなくなること。運気の天井と底がない不安定な状態になるということです。つまり、「あり得ないこと」が起きてしまうのが天中殺。

そして、2年後、何故か急に「潮時だな」という感覚がありました。ハッキリとした理由もなく、理屈では説明できない感覚なのです。その頃、体調も崩しがちだったので、身体から「アラーム」が鳴っていると感じました。

実はその2年後というのは、天中殺期間が終わった瞬間だったのです。

自分の人生の「舵」を握り直す課程で、無我夢中で掴んだものは本来だったら(私の実力では)届かないもの、体験できない世界を体験してしまったという訳です。

このときはまだ算命学を知らなかったので、たまたま天中殺期間であったのですが、言うまでもなく、このときの体験ひとつひとつが私の血となり肉となり、しっかりと刻印されています。そして、体験からの大きな気付きや学びは経験へと昇華していきました。

リクルートでの職務経験が「ゼクシィ」だけにとどまらず、HR(ヒューマンリソース)の領域まで及んだのは、その後の人生を大きく変えるきっかけにもなりました。

「人間の強さも弱さも、全てが美しい」と心から感じる場面をいくつも目の当たりにできたのですから。

何があっても「自分を信じる」~リクルート退職後~

35歳、独身、無職、彼氏なし。

私がリクルートを退職し、コーチとして独立する以前はこのような状態でした。先々の展望もないまま会社を辞めたわけですから、世の中一般的には「崖っぷち」と言われてもおかしくありません。

「このままじゃ、私、どうなっちゃうんだろう。」

と、悶々とする日々を送っていました。

考えすぎると悪いことばかり思いついてしまう。

登録していた数社の人材紹介会社からは、いくつかの企業の人事・教育部門で紹介がありました。

しかし、どこも履歴書の段階で、面談までいかず。何が悪いのかも分からないまま、時間だけがすぎていく。

そんな状態でありながら、どこかで、目に見えない「セーフティネット」のようなものがあることを知っている感覚がありました。

そのセーフティネットの存在を信じる感覚と社会から取り残される「不安」と「恐怖」との狭間を行ったり来たり。

そんなある日、ある人材紹介会社から思いもよらない提案があったのです。

「実は、正直に言うと、閏間さんに企業を紹介するイメージが沸かないんですよね。会わせたい人がいるので、会ってみませんか?」

紹介されたのは、経営者専業のプロコーチでした。

人材紹介会社ですから、当然、企業と個人をマッチングしてマージンが発生します。

個人で独立している人を紹介したところで、この方にはなんのメリットもないはず。

それでも「会わせたい!」という気持ちが嬉しくて、すぐに会うことにしました。

その男性は経営者だけをコーチングしているというだけあって、とにかく目力が強く、迫力満点の存在感でした。小一時間ほど話した最後に、

「あなたはコーチとして独立した方がいい!!」とパワフルな一言。

ギラギラとした熱い眼差しで圧倒的な迫力だったので、思わず、私もその気になっていました。

コーチとして独立することを決めたはいいけど、何から始めて良いのやら…。

その当時、コーチングを学び始めてから6年ほど経っていたのですが、資格は持っていませんでした。

この6年間、資格はなくても、何故かクライアントが「0」になるということはなく、ただ、楽しくてしょうがないからコーチングを続けているという感覚だったのです。

コーチングとはそんな距離感でしたから、まさか、仕事にするなんて夢にも思っていませんでした。

安定した職についていない今、資格取得のためにお金を使う勇気もなく。またもや悶々とした壁にぶち当たります。

いきなりプロコーチといっても資格がなかったら誰にも相手にされないことくらいは想像できました。

「リクルート在籍中に資格とっておけば良かった」と後悔しても後の祭りです。

そんな悶々とした日々がまだまだ続く中、マイコーチとの契約だけは継続し、定期的にコーチングを受けることは続けていました。

コーチングは私にとって生活の一部になっていたのです。

一般的には「崖っぷち」の状態でしたが、コーチングの時間が終わると、いつも決まって「何があっても、私は大丈夫!」という気持ちになれたものでした。

「これまでも色々な大変な思いや苦しい局面があったけど、どういうわけか、助けてくれる人たちが現れて、なんとか生きてきている。だから、今回もきっと大丈夫!」

そんな風に考えるようになれるのです。

これがまさに、目に見えない「セーフティネット」に守られている感覚でした。

そんなある日、「うるる(私のニックネーム)、会社辞めたなら、ある人が始めようとしているイベントを手伝わない?」

と突然のお誘いがありました。

ただし、その活動はボランティア。全くお金になるものではありませんでした。

それでも何か変化を起こしたくて、とにかく紹介したいという人に会ってみることにしました。

ダメ元で会ってみると、その方(実行委員長)がやろうとしているイベントはとっても面白く夢のある話でした。

コーチング業界では、日本で最大規模になるイベントを立ち上げようとしていたのです。

そのイベントは「コーチングフェスタ」参加者は目標500名。

大学のキャンパスを丸ごと、一日借り切って、コーチング業界の大御所と呼ばれる方達をゲストに招いて、いくつものコーチングセミナーを同時に開催するという話はワクワクするものでした。

しかも最初の1回目ということで、「無からつくりあげること」が大好きな私は思わずウズウズして「やります!」と、その場で承諾していました。

その後、自分の危機的立場をすっかり忘れ、コーチングフェスタの準備と運営にのめりこみました。

私がコアスタッフとして参加したのがイベント当日の2か月前。にもかかわらず、何も決まっていない、というカオス状態。

でも、どうしたことか、

「このイベントは絶対に成功させなきゃならない!」という強い思いが芽生えてきたのです。

ボランティアで決してお金にはならないというのに、大嫌いな事務作業を夜中の2時3時までかけて行う日が何日もありました。

「日本で初めての大きなコーチングのイベント」

に関われること、その立ち上げメンバーであること、そのこと自体が喜びだったのです。

今思えば、大義だけで動いていたのだと思います

「お金になるか、ならないか」なんてどうでもいい感覚でした。

結果的に、このコーチングフェスタが実は、人生を変える大きな転機になったのです。

このイベントの発起人であり、実行委員長が現在の夫なわけですから。

夫とはコーチングフェスタがきっかけで出会って3か月で付き合うことになり、付き合って1か月でプロポーズされました。

出会って1年も経たないうちに入籍・結婚。

その間にコーチングの資格コースにも進むことになりました。結婚と同時にコーチングを仕事にしていく道が開かれたのです。

そして、これまた結婚したらすぐに妊娠して長男を出産。

「35歳、独身、無職、彼氏なし」の状態からの大きな大きな変容を遂げた感じです。

その変容の瞬間、まさに交際を申し込まれたその瞬間ですが、不思議な感覚があったことを覚えています。

「うるる、僕と付き合ってみない?」

とかなんとか、割とシンプルな、そんなセリフだったと思います。

その瞬間、なぜか

「あっ。もう私、闘わなくてもいいんだ。」

と感じたのです。

これまで、私は「見えない何か」と闘っている感覚がずっとあったのです。それは、営業数字を追う戦いかもしれません。

男性社会に対する戦いかもしれません。

自分との戦いかもしれません。

その戦いが何かははっきりと分からないのですが、「見えない敵」と闘いながら生きていた感覚があったように思うのです。

そして、夫から交際を申し込まれた瞬間に、その「闘い」は終わったのです。

この一連の「崖っぷち」体験は「闘い」を終わらせるためのアラームだったのかもしれません。

会社を辞めて、何も武器(リクルートという会社、肩書)を持たなくなった私は、「闘い」を終わらせる、ある意味、「大きな開き直り」の境地にたったのかと。

「なにも失うものはない!どうにでもなれ!」という開き直りの境地に立ったら、身の丈を知り、天に身を任せる、委ねる以外の選択肢しかありませんでした。

さて、今、算命学でこの時期の私の宿命をみると、またまた驚くべきことに、10年単位で運気が変化するタイミングと重なっていたのです。

さらに、結婚と同時期に巡っていたのは「パートナー運があがる星」と「守備本能を司る星」。

「パートナーを得て」「家庭を守る」という立場を手に入れた訳ですから、まさに宿命どおり!!すごい!!びっくり!!

世の中で言われている「結婚適齢期」ではなく、私はしっかり、自分の「結婚適齢期」に結婚していたのでした。

ぶれない自分になる~算命学の学びから~

算命学に出会い、一言で言うと、心が強くなったと思います。
環境や状況に流されず、ぶれない芯が自分の中にあると確信するようになりました。何があっても大丈夫。という感覚です。

以前は、特に10月11月になると、もの悲しい寂しい気持ちになることがありました。実際、その時期に風邪をひいたり、仕事でミス・トラブルが起きたり、大変に感じることが重なることも多かったのです。

算命学に出会い、私にとってこの時期は天中殺期間であることが分かりました。それを知ってからは、悪いことが起きても「天中殺期間だもんな。これくらいですんで良かった。」というような受け止め方ができるようになりました。

また、結婚をして子供を産んでから、ピタッと仕事がうまくいかなくなったと感じた時期もありました。新しい仕事を契約しても、どういう訳か直前に仕事がなくなってしまうのです。

算命学でみると、ちょうど私が結婚した時期に転換期があり、そのころから守備本能を司る星が巡ってくる時期に入っていました。

守備本能を上手に活かすには、守るものを増やしていく、ということ。結婚して、子供を産み、育てる、という家庭を「守る」立場に立ったこと、そのこと自体がまさに宿命どおりだったのです。

それが分かったら、むしろ、どっぷり子育てに専念しよう、という気持ちになり2人目も生まれ、子育て中心の生活を楽しむようになりました。そう、人生の流れに抵抗しないこと。これもまた、自然な流れで運命を切り開いていく術なのだと思いました。

自分を信じる、我が子を信じる~算命学を子育てに生かす~

私が生まれ育った家庭は両親に祖母、姉の5人家族でした。5人中4人が女性。女性の中で育った、と言っても過言ではないと思います。

そんな私が男の子を2人産んで育てている訳ですから、2人の怪獣に囲まれ、毎日が戦争、カオス状態と感じていました。

特に、長男はやんちゃなところが目立つ子で、保育園では問題視されることも。もうすでに算命学は学んでいたので、長男の宿命をみるとすぐに納得しました。

良くも悪くも、とても波瀾万丈な宿命を持って生まれてきていたのです。そうと分かれば腹も据わるというもの。

宿命は自分で選んで生まれてくると言われています。ですから、長男の周りで起こること、ひとつひとつに一喜一憂しないこと、長男の生きる力を信じること、をすればいいだけと割り切ったのです。

そうすると、長男を問題視して大騒ぎしていた人達もいつのまにか静かになっていきました。

また、運命=(宿命+環境)×生き方・在り方という公式も力になりました。私たち親が直接的にできることは「環境」を整えることだけ。

せめてその環境だけでも、できる範囲で最高に宿命を生かすよう整えようと考えるようになったからです。

長男は古いものに触れること、伝統や格式のあるものに多く触れること、を意識すると運命が切り開かれる宿命を持っていました。

自宅から徒歩で通える古くから地域に馴染んでいる私立の小中一貫校に入学することを決めました。できるだけ古いものに触れるという意味では、定期的に祖父母に預けることを意識してやっています。おじいちゃんおばあちゃんの存在が彼の力になると思っています。

全ては自分次第~何故、算命学×コーチングなのか~

算命学とコーチングを組み合わせた理由。

それは私が積み上げてきたあらゆる学びの中で、最も素晴らしい組み合わせと思ったからです。

29歳でコーチングに出会い、「本当の自分を生きる」ということに向き合い始めた頃、不安な気持ちになることもありました。

コーチングに出会うまで、私は親や教師、世の中、一般的にみて

「正しい生き方」をしてきました。

「正しくみえる生き方」と表現した方が良いかもしれません。

周りから「どう見られるか?」ばかりを気にしていたのです。

物事の判断基準が「正しくみえる」にはどうしたらいいのだろう、なわけですから、何も深く考える必要がなかった。

世間的に「良さそう」に見えることを選ぶだけで良かったのですから。

それはある意味、自分の人生の「舵」を開け放してしまっていたのだと、コーチングに出会って、気付いたのです。

でも、自分の本当の人生を生きよう、と決めた途端、苦しみが生まれてきました。

それは「正しい生き方」をすることを手放す作業だったからです。

「自分はどうしたいのか?」

「じぶんはどう生きたいのか?」

「じぶんはどうありたいのか?」

そんな問いと向き合い続けていたように思います。

正解がない人生を生き始めると、急に苦しくなるものなのですね。

そんな折、不安な気持ちになると、度々訪れていた占い師が何人かいました。その方達に仕事や恋愛のことを相談していたのです。

例えば、気になっていた異性について占ったとき、

「この人はやめた方がいい。」と言われ、自分の気持ちを押し殺したことがあったほどなのです。

もし、私がもっと自分自身を信頼している「強い人」であったなら、もしかしたら、コーチングだけで自己改革は進んだのかもしれません。

「占い」は私の弱さの象徴でした。

誰かに「大丈夫」「間違ってないよ」と言ってもらいたかった。

そして、ときにはズバッと「こうしたら上手くいく」と、はっきり言ってほしかった。

そんな私が算命学に出会い、

「私が探していたのは、これだ!!」と

インスピレーションが沸いてきた大きな理由は、「仁義礼智信」にならった「徳を積む生き方」を教えてくれるものだったからです。

それは、私が求めていた「正しい生き方」の模範となるようなものでした。

そして、それは、心身のどこかでずーっと前から知っている懐かしさがありました。

幼い頃、おばあちゃんが教えてくれた沢山の智惠と通ずるところがありました。

特に宗教などもたなくても、日本人には先祖代々から脈々と受け継がれてきた叡智や智惠があるんですね。

それは、「真理」なのかもしれません。

算命学の学びを深めていくと、「占い」というよりも、古代中国や日本において用いられてきた「学問」なのだと理解が深まりました。

統計学といったほうがピンとくるかもしれません。中国から日本に上陸し、多くのリーダー達が指針とした知恵が詰まっているのです。

人類の栄枯盛衰の歴史から摘み取った智惠の結晶でもあるわけです。

ゆえに、算命学は「帝王学」であるとも言われています。

帝王とは人の上に立つ人。

国や企業のTOPが学ぶべき学問なのではないか、と一瞬よぎったこともありました。

私のような凡人が「帝王学」なんて・・・と自分を卑下することも。

ですが、そんな気持ちは、あっと言う間にどこかに吹っ飛びました。

だって、「算命学(帝王学)」を生きる指針にすると、とても気持ちがいいんですから!!

それもそのはずです。

算命学で分かる自分の「宿命」は自分自身が「選んで」生まれてきた、いわば「人生の計画書」「人生の旅の地図」のようなもの。

私は「私が選んだ宿命を生きている」と分かっただけで、なんと安心したことか!!

さらに、算命学では「運命」と「宿命」の定義を次のように表現するのです。

運命=(宿命+環境)×生き方・在り方

宿命は25%、環境25%、生き方・在り方は50%です。

つまり、「運命」は自分次第で、いかようにも変えることが出来るのです。

このことに、どれだけの勇気をもらったことか!!

やはり、運命は自分次第なのです!!

私は、算命学からあなたの宿命を理解し、さらに、運命を切り開く上で50%の影響力を持つ

「生き方・在り方」をコーチングでサポートしていきます。

あなたに必要な人は、あなたの話に評価・判断をせず、まっさらな心で寄り添い共に在るコーチであり、さらに、あなたの宿命を理解している人なのです。

苦しみのあとには必ず幸せがある~算命学が教えてくれたこと~

私が算命学を学び始めたとき、本当に深刻に「人間関係」に悩み苦しんでいました。

40数年の人生の中で、生まれて初めて、「仲間はずれ」にされる体験をしたのです。

最初に私のことを「嫌いだ」と言い始めた人の噂話を聞いたときは、まるで別人の話を聞かされているようでした。

そして、確かにそんな人いたら、私も嫌うかもしれないとも思いました。

でも、それは、「私」の話ではありませんでした。

それはまるで、私のことを勝手にイメージして作り上げた別の人の物語のようでした。

そんな噂話を流されても、理由があって、どうしてもそのグループから抜けることができません。

そんなとき、この算命学を学んでいたことが本当に心からの励みになりました。

「批判や非難から逃げるのではなく、浴びてしまいなさい。あらがうことなく、浴びるのです。批判や非難をする人は心が弱い人たちです。強いあなたに嫉妬しているのです。」

とこの学びは教えてくれました。

そして、「嫌われても平気でいよう、一人でも大丈夫であろう」と考え、ついには自ら、「一人でいる」ことを選択しました。

そのとき、お師匠様から言われた言葉は

「周囲に迎合するではなく、嫌われても、一人でいても平気でいられる人。それが一番強い人です。それが帝王です。」

というものでした。本当に心が救われました。

そして、改めて、周囲を見回したときに、どんな酷い噂が流れていようとも、微塵も態度を変えずに友人で居続けてくれる人がいました。

また、「こんな噂が流れているけど、本当はどういう人何だろう、って気になって。」

とランチに誘ってくれる人がいました。

その二人は、今では親友と呼べる間柄になっています。噂のおかげで、誰からも好かれる自分では無くなったけど、生涯の友人と呼べる友に出会えたのです。

こんな有り難い奇跡的な体験ができたのです。

苦しみの後に、必ず大きな喜びが待っている、というのも算命学で言われていることです。

それを信じるひとつの体験にもなりました。そして、この体験は「気付き」や「学び」として私の心身に刻印され、経験として昇華していきました。

体験したことから、何に気付き、何を学んだか、そこまで突き詰めて、「経験」に昇華するのです。

この「経験」の積み重ねが人としての「魅力」の種になる、とも算命学は教えてくれています。