今月の動向(2019年11月8日~12月7日)

今月(11/8~12/7)は乙亥月です。

 

 

木性で陰の十干「乙(おつぼく)」と、

水性で陰の十二支「亥(いのしし)」が

組み合わさった干支です。

 

 

乙は草花を表し、

亥は冬の小さな池を表します。

そのため、乙亥は「冬の浮き草、水上寄生の木」

というイメージです。

 

乙亥月のポイントは以下の通りです。

 

 

◆新しいチャレンジに吉

 

 

乙亥月は、自ら不安定な中に飛び込む事が吉になります。

 

今まで誰も取り組んでこなかった

全く新しいことをスタートさせるのに、良い月と言えるでしょう。

 

スタートをさせるのに良い月だからといって、

何もかもが思い通りにスムーズにいく、という事とは違います。

新しいチャレンジというのは、追い風、向かい風、浮き沈み、

良いことばかりではなく、あらゆる苦労や困難も待ち受けているものです。

そのような浮き沈みを受け入れ、一喜一憂でず、

「不安定な方が安定する」くらいのドーンとした気持ちでいると

心が強くなり、希望の扉が開いていきます。

 

 

 

  • 学問、芸術を楽しむ

 

乙亥月はとても頭の回転が早くなる月でもあります。

 

論理性に磨きをかけるのにいいタイミングです。

 

学問の秋、芸術の秋、といわれるように、

秋の夜長を自分を高める勉学に集中してみるのはいかがでしょう。

 

 

 

◆風邪に気をつける

 

暦では初冬にあたり、日々寒さが増してきています。

体調の変化も気をつけたいところです。

風邪はひき始めのうちに、しっかり養生しましょう。

 

また、乙亥月は隠れた持病が表に出やすい月でもあります。

ただの風邪だと甘く見ず、少しでも様子がおかしいと感じたら、

信頼できる医師に診てもらうことも大切です。

風邪の症状に隠されていた持病を発見するかもしれません。

 

 

 

以上、乙亥月のみで見たポイントです。

 

 

 

ご自身の天中殺や個人の運気など、

個人の宿命によってテーマは変わってきますが、

これらを心に置いてよりよい在り方を探究していただければ幸いです。

 

 

 

長文読んでくださり、ありがとうございます。

 

 

 

感謝を込めて。

帝王学の格言⑩「運も実力のうち」という真実

こちらのページを覗いてくださって、ありがとうございます。

 

 

「運も実力のうち」という言葉があります。

これが、算命学と帝王学、両面から見て、

あ~、本当にその通りだな、とつくづく感じるので、

今回は「運も実力のうち」をテーマにしたいと思います。

 

 

 

さて、そもそも「運」とはなんなんでしょうか?

 

 

 

たまたま得たラッキーな出来事、という解釈もあるかもしれません。

 

 

しかし、算命学の学問上、しっかりした方程式があるので、

ご紹介したいと思います。

 

 

注意:算命学では、「運」=「運命」と表記しています。

 

 

 

運命=(宿命+環境)×生き方・在り方

 

 

 

運命とは宿命(生まれ持った資質・才能・使命等)と環境を足し、

生き方・在り方をかけ算してできあがったもの。

 

 

 

宿命は生まれ落ちた生年月日で知ることができますが、

変えることはできません。

 

環境も生まれ育った場所・両親・兄弟の有無・教育などから、

自然と身の回りに在る存在で、多大な影響を受ける子供時代の環境は

自らコントロールできるものではありません。

 

 

 

ですが、算命学では、宿命も環境も、運命をつくりだす25%と考えています。

 

 

つまり、生き方・在り方が50%を占めるのです。

 

 

この生き方・在り方によっては、

後年の「環境」を自ら創り出すことも可能になります。

 

 

そう考えると、「自ら運命を切り開く」という言葉もしっくりくるものですね。

 

 

 

 

 

さて、「帝王学」の観点でみたときには、どうでしょうか?

 

 

帝王学では、良く「ご縁を積み重ねなさい。」と言います。

 

 

ここでいう「ご縁」とは一般的に指す「人とのご縁」だけではありません。

 

 

「ご縁」はあらゆるものと結ぶことができるのです。

 

 

例えば、学問、知識、智惠、といったものもそうですし、

仕事をする上での、技術、専門性、資格、などもそうです。

仕事でいえば、日々の種まきといった営業活動もあてはまります。

積み重ねてきたキャリアそのものも「ご縁」です。

そして、人脈はもちろんですが、

あらゆる人間関係の中で揉まれた体験・経験も、ご縁なのです。

 

 

「因縁」という言葉があります。

 

ご縁を結ぶというのは、「因」をつくるということ。

 

「善因縁」を積み重ねれば、それが廻り巡って自分に返ってきます。

 

そのとき、私たちは「運が良かった」などと解釈します。

 

 

 

不本意にも「悪因縁」を積み重ねても、

やはり、同じように廻り巡って自分に返ってくるのです。

 

 

そのとき、私たちは「運が悪かった」「縁が無かった」などと解釈するのです。

 

 

 

「運も実力のうち」という言葉を紐解いてみると、

 

いかに「運」を味方につけるような「ご縁」を積み重ねてきたのか、

ということにあるように思うのです。

 

 

 

そもそも、「運」はその準備をしてきた人の前に現れます。

 

前述でいう積み重ねてきた「ご縁」によって「運」が現れるという感覚です。

 

ですが、それだけでは、「運」を掴むことは出来ません。

 

「運」がやってきた時に、それを掴む勇気があること、

 

その掴みとった「運」を手放さないように、傲慢にならず謙虚でいること。

 

そして、日々、当たり前のことを努力し、自らを律し続けること、

 

あらゆる要素が複数集まって、結果、「運が良かった」となるわけです。

 

 

 

「運も実力のうち」という言葉は、改めて、真実だな~と感じてしまいます。

 

 

 

「運も実力のうち」をググったら、北野武さんのこんな言葉が出てきました。

 

なるほど!と思うことばかり。参考までに引用させて頂きます。

 

 

~~~「名言と向き合う」北野武氏より~~~

 

 

『昔から『運も実力のうち』なんて言葉があるとおり、おいらも所詮人間の成功なんて運があるかどうかに尽きると思ってる。』

 

『天才とは、運と才能と、あと努力。ごく普通のことを人一倍やった人だよ。そして運は必要だよ。』

 

例えばたけしの時代に、『お笑いブーム』というものがあったかもしれない。

そしてブームは去り、また訪れて、去り、を繰り返すのかもしれない。

『何でも好き放題やっていい時代』と『自分の芸風』がマッチして、未踏未達を開拓する革命児という異名もほしいままに出来るから、

確かに、その時代、その波、その状況でしか力を存分に発揮できず、後につづくものは、たとえそれよりも革命的なことをやっても、

最初のその人たちを追い越せない、という状況はあって、それはやっぱり『運』と答えた方が、わかりやすいのかもしれない。

 

 

だが例えば、ブームが去ったその後に、ダウンタウンが漫才をやるという時は、既に焼け野原のような状態だった。

そして、そこから這い上がって、時代を築いてきたのが、ダウンタウンなのである。

だとしたら、『運』というのは、『運命』ではなく『気運』のことであり、気運ならば、自分の気持ち一つで巻き起こすことが出来る。

それこそが『運も実力のうち』という言葉の正体であり、何もないところに波は立たないのである。

 

 

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長文、読んでくださり、ありがとうございました。

 

 

 

感謝を込めて。

帝王学の格言⑨最幸のあり方

前々回、

 

「幸せになる」という表現から「幸せである」という表現に変えて

 

現実を捉え直してみる、という観点をご紹介しました。

 

そして、前回はどうしたら「幸せである」人になれるのか、

 

について考察してみました。

 

まずは、シンプルに

 

自分自身に「幸せ」であることを許可する、ということ。

 

何かを達成しなくても、幸せであっても良いのです。

 

幸せは努力の先にあるもの、ではなく、「今ここ」で感じても良いのです。

 

幸せを「先送り」にしなくても良いのです。

 

 

 

 

そして、今回は帝王学の観点で「幸せである」とはどういうことか、

 

を考察したいと思います。

 

 

 

 

帝王学で言っていることも、実は、いたってシンプルです。

 

 

 

 

「エゴや我欲を捨てて、傲慢にならず、謙虚に、

ただただ、目の前の人にお尽くししなさい。」

 

 

 

 

帝王学では、いつも、このことを角度や言葉を変えて言っているのです。

 

 

 

 

これを本当にまっさらな心で純粋に実直に行動できたとしたら、

これほど幸せな生き方はないんじゃないか、と思うのです。

 

 

 

エゴや我欲は過去の痛手から生まれた思い込みや将来への不安によって拡大し、

人間関係における不必要なしがらみで拡散、肥大化していきます。

 

 

 

そのエゴや我欲を捨てることができたなら、

どんなに楽に自然に生きられることか。

 

 

 

 

他者が到底気付かない視点の高さや知見の広さを、

傲慢にならず謙虚さをもって、人に伝えることができたなら、

どれほど多くの人に影響を与えられるだろうか。

 

 

 

 

無我の境地で、ただただ一所懸命に、目の前の人にお尽くしする、

こんな風に生きられたら、奉仕貢献する喜びに満ち溢れるのではないだろうか。

 

 

 

 

人は「利己的」に生きるよりも、

「利他的」に生きた方が

幸せでいられると思うのです。

 

 

 

人に尽くす前に、まずは「自分」から、という考え方もあります。

それはそれで、良いと思うのです。

自分を満たすことはとても大切ですから。

 

 

 

ただ、「帝王」として、自らの人生や時代を切り開いていくということは、

自分=他者であり、他者の幸せ=自分の幸せ

と感じらるのではないかと思うのです。

 

 

 

 

これを本当に純粋に心の底から実感できて、実行に移せる人がいたら、

なんて幸せなあり方なんだろう、と思うのです。

 

 

 

 

最も幸せなあり方、最幸のあり方は、

 

「エゴや我欲を捨てて、傲慢にならず、謙虚に、

ただただ、目の前の人にお尽くしする。」

 

を純粋に実行する人、なのだと思うのです。

 

 

 

 

シンプルで簡単そうに思えて、難しいようにも感じます。

 

 

 

 

でも、やっぱり簡単なんじゃないかな、とも感じます。

 

 

 

 

子供のころに無我夢中になって、遊びに集中した体験。

 

学生時代の部活動などで、チームのために我を忘れた体験。

 

世の中を良くしようと開発に集中したフロー体験。

 

 

 

 

「無我」の境地。

 

 

 

 

そこには過去のしがらみも、未来への不安もなく、

 

 

 

 

やっぱり、「今、ここ」だけに完全にある状態。

 

 

 

「エゴや我欲を捨てて、傲慢にならず、謙虚に、

ただただ、目の前の人にお尽くしする。」

 

 

 

私は正直、できているときもあるけれど、できていない時がほとんどです。

 

 

 

でも、できている時は、本当に幸せだったと思えます。

 

 

 

であれば、できている時を増やすのみ!!精進するのみですね。

 

 

 

 

長文読んでくださり、ありがとうございました。

 

 

 

感謝を込めて。

今月の動向(2019年10月8日~11月7日)

今月(10/8~11/7)は甲戌月です。

 

木性で陽の十干「甲(こうぼく)」と、

土性で陽の十二支「戌(いぬ)」が

組み合わさった干支です。

甲は大木を表し、

戌は晩秋の乾いた土を表します。

そのため、甲戌は「落葉の樹木、秋山の木」

というイメージです。

甲戌月のポイントは以下の通りです。

 

 

◆体力の消耗に注意

 

甲戌月は、肉体的に疲れやすくなります。

体力が課題となりますので、エネルギーの消耗に気をつけましょう。

反面、学問や芸術、哲学世界においては、独自の領域を発揮できます。

今年は、スポーツの秋というより、芸術の秋を楽しむとよいかもしれません。

とはいえ、運動をしないほうがいいということではありません。

甲戌月は、 あたたかさを加えることで運気が上がります。

運は動より生ず。

健康のためにも、運気上昇のためにも、体を動かすことは大切です。

やりすぎるとエネルギーが枯渇して動けなくなりますので要注意です。

運動以外でも、温かい飲み物を飲んだり、湯船につかるなど、

体を冷やさない工夫を心がけてみてください。

 

 

◆きっかけづくりを

 

今月は、物事を始める『きっかけ』づくりやスタートに関わると良い月です。

頭の回転が速くなるので、初期段階でのトライ&エラーを試す機会にしても。

みんなで一緒にやるのではなく、ひとまず一人でがむしゃらに動くところ

から始めるのがのが吉です。

成功の反対は失敗ではなく、何もしないこと。

変転変化が求められるこの時代に、

まだこの世にない価値が生まれる月になるかもしれません。

 

 

◆秋を美味しく楽しむ

 

前述の「あたたかさ」の加え方を、伝達本能である火性(鳳閣星・ 調舒星)の

観点で捉えると、旬の食べ物を美味しくいただくことや、

秋独特の繊細な季節のうつろいを楽しむこともよいと解釈できます。

 

今月は秋の土用で、丑の日は31日(木)です。

季節の変わり目で、体力に課題の出やすい月ですので、

鰻などのスタミナのつくものを食べるのはとてもおすすめです。

さらに、いつもとは違った秋を堪能するプランを

立ててみるのもいいかもしれません。

 

以上、甲戌月のみで見たポイントです。

 

ご自身の天中殺や個人の運気など、

個人の宿命によってテーマは変わってきますが、

これらを心に置いてよりよい在り方を探究していただければ幸いです。

 

長文読んでくださり、ありがとうございます。

 

感謝を込めて。

セルフコーチング⑤「幸せになる」から「幸せである」へ

前回、

「幸せになる」という表現から「幸せである」という表現に変えて

現実を捉え直してみる、という観点をご紹介しました。

 

 

 

少し復習すると、「幸せになる」という言葉は、

「今は幸せでなく、未来に幸せになる」ということが

無意識・無自覚に表現として含まれてしまっているからです。

 

 

 

さらに、「○○を手に入れれば、幸せになる」あるいは、

「○○を達成すれば、幸せになる」というように、

こちらも無意識・無自覚に幸せを条件付きにしてしまっているのです。

 

 

 

「幸せになる」という表現と「幸せである」人の違いは

「今、ここ」「今、この瞬間」を幸せと感じられるかどうか、なのです。

 

 

 

「幸せである」人は幸せを先送りにしないのです。

 

 

 

それでは、「幸せである」人は目標を立てることや

何かを達成することをしないのでしょうか?

 

 

 

いえいえ。「幸せである人」ももちろん、

人生を豊かに有意義にするような目標や目的を持つこともあります。

 

 

 

ただ、「幸せになる」人が目標や目的が達成できたら幸せになるのに対し、

「幸せである」人は、プロセス、課程そのものを楽しみ、

その中で起きる小さな達成感や充実感を幸せとして味わっているのです。

 

 

 

それでは、どうしたら、「幸せである」人になれるのでしょう?

 

 

 

答えはいたってシンプルです。

 

 

 

「幸せである」ことを許可するのです。

 

 

 

あなたがあなた自身に「幸せである」ことを許すのです。

 

 

 

「幸せである」ことを許可するにはこんな言葉が力になります。

 

 

 

「私は、私が幸せであることを許します。」

 

 

 

「私には、幸せである価値が充分にあります。」

 

 

 

「私は私を幸せにする力を持っています。」

 

 

 

「私は、幸せを感じるに値する人間です。」

 

 

 

「私は、今、この瞬間から幸せを見つけることが出来ます。」

 

 

 

「私は、喜びや楽しみ、嬉しさを実感でき、味わうことができます。」

 

 

 

「私は私を愛しています。」等々・・・・・

 

 

 

これらの言葉をスッキリと受け入れられますか?

 

 

 

それとも、なんだか胸がザワザワしたり、くすぐったい気持ちになったり、

なんとなく受け容れ難いような気持ちになったり、

イライラとする気持ちが起きたりしませんでしたか?

 

 

 

私の経験上、自分を厳しく律し、常識人として、

正しく生きてきた40代・50代の特に高学歴の方達は、

なかなか受け入れられない言葉であるような気がします。

 

 

 

子供の頃から、

「将来のため」「将来のため」と勉強やスポーツに頑張ってきた方達。

良い大学に入るために、寝る間も、友達と遊ぶ間も惜しんで勉強して。

良い大学に入ったら、今度は、良い企業に入るために、

またまた勉強や部活動に熱中して。

良い企業に入ったら、今度は、誰よりも早く昇進しようと躍起になり、

良いポジションを目指して。

良いポジションを得たなら、今度は老後の安定の為に、

少しでも長く会社に在籍できるよう社内政治に奮闘して。

 

 

 

とにかく、

「将来のため」「将来のため」と子供の頃から言われ続けたのですから、

「幸せになる」ために努力をするのは当然と感じていらっしゃるでしょう。

 

 

あるいは「幸せ」とは、努力しないと手に入れられないもの、

と感じているかもしれません。

 

 

今、目の前にある幸せを実感する間もないほどに、

真面目に真摯に、駆け抜けて頑張って、一生懸命に生きてきた方達。

 

 

 

そんな駆け抜けてきた方達も、少し立ち止まってみませんか。

今、目の前にある「幸せ」を感じても良いのですから。

「幸せ」を感じる力は誰もが充分に持っていますし、

誰もが「幸せ」になる価値があるのです。

 

 

 

五感を開いて、「幸せ」とはどういう感覚なのか味わってみてください。

 

 

 

都会の中にある小さな自然に感動したり、

暖かいミルクティーにほっとしたり、

雨上がりの土の匂いを嗅いでみたり、

初秋の心地よい風を肌で感じてみたり、

街路樹からこぼれる日差しの美しさを眺めたり。

 

 

 

何かの大きな目標や目的に向かっているという充実感。

今、目の前にある小さな目標をひとつづつクリアしていく達成感。

大きな壁にぶち当たったときに、苦しみながらも耐え抜いた自信。

時には、手を差し出して助けてくれる人や、指導してくれる人の存在。

お互いに励まし合い、慰め合いながら苦境の中を共に行く仲間との出会い、

等々。

 

 

 

これも全て「幸せ」であるのです。

 

 

 

何かを達成しなくても、「幸せ」を感じても良いのです。

 

 

 

そして、「幸せ」を感じられる人は

誰かを「幸せ」にすることができる人でもあるのです。

 

 

だけどね、「幸せである」ことをどうしても許可できなかったら、

「幸せになる」ために頑張るという選択をしても良いのですよ。

それが、あまりにも自然に身についた生き方だとしたら、

それはそれで良いのです。人生に正解はありませんから。

 

 

 

少しでも、誰かの力や栄養になりますように。

 

 

 

次回は「帝王学」の観点で「幸せである」ことを探求したいと思います。

 

 

 

長文読んでくださり、ありがとうございます。

 

 

 

感謝を込めて。

セルフコーチング④少しでも「幸せ恐怖症」と感じたら・・・

私が「幸せ恐怖症」という言葉を知ったのは、あるクライアントさんからの

「わたし、幸せ恐怖症かもしれないです。」という発言からでした。

 

 

幸せな状態が不安でたまらなく、幸せだと心が落ち着かなくて、

逃げ出したくなったり、壊したくなるのだそう。

 

 

 

ん?それって、結婚が近づくにつれ不安になる「マリッジブルー」

も当てはまるような気がしてしまいます。

 

 

では、どういう状態が幸せ恐怖症なのか、

セルフチェックがあったので、こちらも記載しておきます。

 

 

 

①今までにこの世からいなくなりたいと思う程の辛い経験がある

(失恋・挫折・トラウマなど)

 

②幸せになるといつまで続くか不安になる

 

③自分以外誰も信じられない

 

④友達から恋人に発展できない(恋に踏み出す勇気がない)

 

⑤マイナス思考で自己肯定感が低い

 

⑥一人が気楽で、皆と一緒に楽しむことが苦手

 

⑦楽しい時間を過ごすと不安になる(そわそわしてしまう)

 

⑧幸せでもないのに、幸せそうなオーラを出したり、演技をしてしまう

 

⑨自分だけが幸せだと申し訳ない気持ちになる

 

⑩今の幸せが「夢なんじゃないか」と錯覚してしまうことがある

 

 

以上の中で1つでも当てはまる項目があれば、

幸せ恐怖症の疑いがあるのだそうです。

また、幸せ恐怖症予備軍とも考えられるのだそうです。

 

 

 

んんん???

 

 

 

1つでも当てはまったら、「幸せ恐怖症」の疑いや予備軍になってしまうの?

 

 

こんな風に具体的に認識したことはなかったけど、

幸せになると不安になるのは、私にも心当たりがあります。

 

 

 

②幸せになるといつまで続くか不安になる

って、誰でも少しは感じるものかと思ってました。

 

 

あとは、

⑧の幸せでもないのに、幸せそうなオーラを出したり、演技をしてしまう

も当てはまりそうです。

 

営業マンとしての仕事が長かったため、

なんとなく幸せそうに振る舞ってた時期があったような気がします。

幸せそうな方が説得力が増すと無意識に思ってたのかしら。

 

 

 

⑨自分だけが幸せだと申し訳ない気持ちになってしまう

なんかは、

身内や親しい友人などが厳しい状況にあると、

自分の幸せな状態が申し訳なくなって話せなくなったり・・・。

 

 

 

「幸せ恐怖症」は程度の差こそあれ、誰が感じてもおかしくない

一般的な心理状態なのかもしれません。

 

 

 

では、どのようにしたら、「幸せ恐怖症」を少しでも克服できるのでしょう。

一般的な方法としては、

・自己肯定感を高める、

・なんでもポジティブに前向きに考える

・感謝の気持ちを伝える

などがあるそうです。

 

 

 

ですが、ここでは、もう少し違う観点で考察したいと思います。

 

 

 

そもそも、「幸せになる」と考えると実は、難しいかもしれません。

 

 

 

「○○になる」という表現が、すでに未来を指しているからです。

現在はそうではないけれど、いつかは幸せになれる、

というようなニュアンスが無自覚に含まれてしまっています。

 

 

 

あるいは、「幸せになる」という表現には、

これまた無自覚に「条件」も付いてしまうものなのです。

 

 

 

「○○大学に合格したら、幸せになる」

「○○の仕事を手に入れたら、幸せになる」

「素敵な彼氏が出来たら、幸せになる」

「結婚したら、幸せになる」

「子供が出来たら、幸せになる」

「2人目が出来たら、幸せになる」

挙げ句の果てには「定年退職したら、自由になって幸せになる」等々・・・

 

 

 

 

「幸せ」がどんどん先送りになってしまいませんか?

 

 

 

 

これは、NLPを主軸にしたBeing sourceという学びで得た考え方です。

この学びでは言葉に含まれる些細なニュアンスを、とても大切にしています。

 

 

 

それでは、どうしたら良いのでしょう?

 

 

 

「幸せになる」ではなく「幸せである」

と考え方を変えてみるのです。

 

 

 

「幸せである」とは、どういう感じがしますか?

 

 

 

「今、この時」あるいは「今、この瞬間」「今、ここ」

に焦点が当たっているのが伝わりますでしょうか?

 

 

 

「幸せである」人は、幸せを先送りにしません。

 

 

 

「今、ここ」に幸せを見いだせるからなのです。

 

 

 

「幸せである」人は、幸せを条件付きにしません。

 

 

 

周囲の情報に惑わされず、自分の魂が喜ぶ選択をするからです。

 

 

 

「幸せになる」から「幸せである」に表現を変えてみてください。

 

 

 

「幸せになりたい」から「幸せでありたい」と考えてみてください。

 

 

 

周囲の見え方が少しづつ変わっていくかもしれません。

 

 

 

あなたが幸せでありますように。

 

 

次回は「幸せである」ためのヒントを紹介したいと思います。

 

 

長文読んでくださり、ありがとうございました。

 

 

 

感謝を込めて。

今月の動向(2019年9月8日~10月7日)

今月(9/8~10/7)は癸酉月です。

 

水性で陰の十干「癸(きすい)」と

金性で陰の十二支「酉(とり)」が

組み合わさった干支です。

癸は 雨、露、小川、真水を表し、

酉は季節では仲秋を表します。

そのため、癸酉は「秋の山中のきれいな石の間から湧き出る水」

というイメージです。

とても清らかで美しいですね。

癸酉月のポイントは以下の通りです。

 

◆神社仏閣を訪れる

 

癸酉月は、信仰や家系に縁が深い月となります。

神社仏閣をめぐったり、先祖供養のためお墓参りをすることで、

運気の流れが良くなり、聡明さが発揮されることとなります。

 

現実世界での有形人脈を豊かにするためには、

精神世界における無形人脈(ご先祖様)を意識することが大切です。

9月は秋彼岸があります(9/20~26)。

秋分の日を中心とした前後7日間は、

昼と夜の陰陽の調和がとれる期間です。

この期間にお墓参りをするのはもちろんのこと、

神社仏閣を参拝して無形の波動を浴びながら、

ご先祖様や大いなる存在に想いを馳せ、

自分自身と向き合う機会にしてみてはいかがでしょうか。

 

 

◆筆をとり文章に親しむ

 

とても清らかな美しい水である

癸酉月は、文筆活動として発揮されやすい月です。

芸術の秋でもありますし、智徳本能(玉堂星世界)を体験する絶好の機会です。

ご自身の想いを詩にしてみたり、写経をしてみたり、

芸術・美学な領域は、理屈で凝り固まった頭を非論理へといざないます。

忙しい日常を少し離れ、気持ちに言葉を与えてみるのもひとつです。

メールも悪くないですが、ひと手間かけて手紙にするのもいいかもしれません。

 

 

◆品性を磨く

 

思考力も知識の吸収力も高まる月ですが、

ふとすると自分のためにその力を行使してしまうことがあります。

品性なき知性は、ずる賢さや攻撃性につながります。

自分と異なる価値観を受け入れるのは容易ではありませんが、

多様性を重視した考え方が主流になっている昨今、

品性を厳格さに偏らせず、無駄余暇遊びを取り入れられる余裕をもちましょう。

品格ある土台の上にあるものは、自然と美しさがにじみ出るものです。

言葉に、所作に、存在そのものに、磨いた品性を生かしてまいりましょう。

 

 

以上、癸酉月のみで見たポイントです。

 

ご自身の天中殺や個人の運気など、

個人の宿命によってテーマは変わってきますが、

これらを心に置いてよりよく生きていただければ幸いです。

 

長文、読んでくださり、ありがとうございます。

 

感謝を込めて。

今月の動向(2019年8月8日~9月7日)

今月(8/8~9/7)は壬申月です。

水性で陽の十干「壬(じんすい)」と

金性で陽の十二支「申(さる)」が組み合わさった干支です。

壬は大河や海を表し、申は季節では初秋を表します。

そのため、壬申は初秋の海を表します。

壬申月のポイントは以下の通りです。

 

 

◆行動すれども忍耐強く

 

壬申月は、活発に行動できる月です。

行動は循環を生み、エネルギーがスムーズに流れていきます。

ただし、必ずしも即座に結果がでるとは限りません。

目先の利益に捕らわれず、コツコツ積み上げることが吉となります。

不安や恐れからの行動は、良い結果に繋がりません。

成果だけでなく、評価を求めるとエゴが生まれ、

壬申の綺麗さを濁してしまうかもしれないのです。

濁りは時として舌禍(ぜっか(舌・言葉による災い、))

として現れ、自他ともに傷つきますので、

信じて待つこともうまくいくポイントです。

邪気払いとして、旬の桃を食すのもおすすめです。

 

 

◆夏を楽しむ

 

暦の上では初秋ですが、世間はまだまだ夏休みです。

海水浴やバーベキューなど、

この時期を思いっきり満喫してはいかがでしょうか。

また、お盆の帰省や仲間とのキャンプなど、夏ならではのイベントは

日頃から感じていること、考えていることを周囲の方に伝える、

とても良い機会となるはずです。

想いを分かち合うということは、伝達本能の火性が動き、

温かみが増してきます。よって、人も集まってくることでしょう。

壬の純粋性と知性を最大限に発揮するには、

より多くの人が周りにいることで影響力がでるのです。

 

 

新しいことや興味や関心があるものを始めてみるのもオススメです。

行動力が知識を増やし、新しい価値の創造につながります。

 

 

以上、壬申月のみで見たポイントです。

 

より良く生きる指針として参考にして頂けたら嬉しく思います。

読んで下さり、ありがとうございます。

 

感謝を込めて。

帝王学の格言⑧「北海の太陽」を別名にもつ星とは

算命学の宿命の中に、「北海の太陽」という別名をもつ星があります。

 

 

「北海の太陽」

 

 

想像してみて下さい。

 

 

極寒の北の国の海を。

 

 

寒さが身にしみる北の地の、そこは海岸。

 

 

凍てつくような風が吹いているかもしれません。

 

 

雪なのか、ひょうかあられか分からないような冷たい氷が

肌に当たるかもしれません。

 

 

海は穏やかでしょうか?

 

 

なんとなく、荒々しい白波が高く迫ってくるイメージをしてしまいます。

 

 

そんな極寒の北の海で、

 

 

ふと、頬に一筋の暖かな太陽の日差しが優しく照りつける。

 

 

ちょうど、雲の合間から顔を出した太陽の光。一瞬の出来事かもしれません。

 

 

どんな感覚がするでしょう。どんな気持ちになるでしょうか?

 

 

太陽の温かさに涙がでるかもしれません。

 

 

太陽の日差しの温かさがこれほどまでに身にしみる状況はないでしょう。

 

 

 

 

 

そうです。

 

 

「北海の太陽」とは、そんな厳しい状況に追い込まれている人の

太陽のような存在なのです。

 

 

 

それでは、その「北海の太陽」を別名にもつ星とは何でしょう?

 

 

それは「調舒星(ちょうじょせい)」という星です。

 

 

火性である伝達本能、陰の星。

 

 

伝達本能を司るわけですから、

当然、人に想いを伝えることを使命としています。

 

 

ですが、この調舒星、人に想いを伝えるのに口(言葉)を使わないのです。

 

 

この星は、とても繊細でデリケートな面を持ち合わせていて、

口が達者ではありません。

 

 

想いは溢れるほどにあるのに、言葉が出ないのです。なんとややこしい!!

 

 

じゃあどうするか???

 

 

そうなんです!

人によっては、音楽や美術といった芸術の世界で、

想いを分かち合おうとします。

 

 

これは、調舒星が最も分かりやすく開花した人の場合です。

 

 

でも、多くの人は、それがなかなかできない。

 

 

通常の人よりも溢れる想いがあるのに、伝えられない・・・。

 

 

それに、もがき、苦しみ、傷つき、孤独になる。

 

 

そして、傷ついた分だけ、調舒星の器が広がる。

 

 

調舒星の器が広がると、言葉を必要としなくなる。

 

 

ただ、そこに存在するだけで、傷ついた人に寄り添える温かい人になる。

 

 

「北海の太陽」は実は、たくさんたくさん傷ついた人が、

行き着く究極の「優しさ」なのだと思うのです。

 

 

 

調舒星をもったあるクライアントさんがこんなことをおっしゃいました。

 

 

 

「あとどれくらい、傷ついたら北海の太陽になれますか?」

 

 

 

その当時、未熟な私は、本当にどうしようもない返事をしてしまった。

 

 

 

「それは質と量のかけ算だから、なんとも言えないです、、、」

 

 

 

なんてアホなんでしょう。

 

 

とっさに当たり障りのない無難な回答をしてしまった。

 

 

 

タイムマシーンがあるのなら、戻って、自分自身をぶん殴ってやりたい。

 

 

目の前にいらっしゃるクライアントさんが

 

 

 

「あとどれくらい、傷ついたら北海の太陽になれますか?」

 

 

 

とおっしゃっている。

 

 

そうおっしゃる生き様や背景を瞬時に掴みきれなかった。

 

 

その当時の私の耳元で、こう言いたい。

目の前にいる人をもっと全心身で感じなさい、と。

 

 

この方は、とても凜とした透明感のある強さをもった人。

 

 

とても「もう傷つくのはごめんだ。早く北海の太陽になりたい。」と

嘆くような人ではありません。

 

 

 

「あとどれくらい、傷ついたら北海の太陽になれますか?」

 

 

 

この方は

 

 

傷ついた誰かの北海の太陽になれるのであれば、

私はいくら傷ついても構わない。

だから、教えて下さい。あと、どれくらい傷つけば良いのかを。

 

 

 

とおっしゃていたのです。

 

 

 

タイムマシンでこの頃に戻って、私自身をぶん殴った後、

私はこの方を心の中で抱きしめて、こう伝えたい。

 

 

 

「(そのような質問がでてくること、それ自体で)

あなたは充分、「北海の太陽」ですよ。」と。

 

 

 

あの頃の私の器では、この言葉を出せませんでした。

 

 

この仕事をしていて、本当に自己研鑽と謙虚さが大事だと痛感する体験でした。

 

 

できることならば、

このブログをあなたが読んでいてくれることを切に願います。

 

 

 

そして、ここまで読んで下さった全ての方へ。

 

 

 

調舒星をもっていてももっていなくても、

 

 

 

あなたが傷ついた体験・経験は決して無駄にはなりません。

いつか、だれかの傷ついた心に寄り添う糧や力になるときが必ずくるから。

 

 

 

「北海の太陽」は誰でもなれるのです。

 

 

 

誰かの北海の太陽になるために。

 

 

 

あなただけにしか救えない誰かのために。

 

 

 

傷つくことを恐れなくてもいいのです。

 

 

 

何か自分にとって苦しく辛い場所にいなければいけないとき、

 

 

選択できる行動は3つしかありません。

 

 

 

・自分にとって居心地の良い場所になるよう努力する。

・その場所から離れる。

・その現実を受け入れる。

 

 

 

少しでもその場所が居心地のいい所に変わるようにと努力しても難しく、

その苦しみや辛さから抜け出そうと、どうあがいても、

出口が見つからないとき、そんなときは、この体験・経験をする必要が

あるのだ、と受け入れるしかないのです。

 

 

 

そうして、その現実を受け入れ、その苦しみ辛さを味わい切ったとき、

「北海の太陽」としての人間力が増していくのです。

 

 

 

だけどね、時には傷つくことから逃げたっていいんですよ。

(特に修行好きの人は逃げることを選択のひとつに入れて下さいね)

 

 

 

逃げて良いときのサインはすぐに分かります。

「こっちだよ」という光が見えてきますから。

 

 

 

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

 

 

 

感謝を込めて。

帝王学の格言⑦「いかにあるか」について考える

「いかにあるか」

 

 

前回、前々回と同じテーマで違う角度から考察してみました。

一番はじめは、コーチとしての観点で

次に、私個人の意見として、徒然なるままに書いてみました。

 

 

 

 

今回は3回目ですが、「帝王学の格言」として考えてみます。

 

 

 

今まで書いてきたことと逆説的に感じるかもしれません。

正解を求めるのではなく、問いを持ち続けて観点を変える。

まるで、禅問答のようですが、なんかしらの力になるかもしれません。

どうぞ、お付き合い下さいませ。

 

 

 

 

「いかにあるか」を帝王として問うたとき、

 

 

 

「いかにあるべきか」にニュアンスが近いように感じます。

 

 

 

と以前も書きました。

 

 

 

その「いかにあるべきか」はどのような在り方なのか。

 

 

 

人の上に立つ立場にある方で、

内面からの人間力をもったカリスマ性のある人達に共通すること。

その共通することが、帝王としての「いかにあるべきか」なのだと思います。

 

 

 

話は少しそれるように感じるかもしれませんが、

以前も書いたように、算命学/陰陽五行論では

「ありのまま」という言葉をあまり使わないのです。

それは、帝王学の要素が多分に含まれた学問であるからです。

 

 

 

 

帝王は「ありのまま」を自分に向けて、使わないのです。

 

 

 

帝王が「ありのまま」を使うときには、外側に向いているのです。

 

 

 

目の前にいる人、周りの人達、自分が置かれた状況や環境、市場や世界、

生まれた時代、国や地域の事情などなど、、、、、

 

 

 

あげればきりがありませんが、

そういったことを「あるがまま」に受け入れるのが帝王なのです。

 

 

 

「不都合が常と思えば不都合なし」とは、徳川家康の言葉ですが、

 

 

 

世の中の不条理、不安定さ、理不尽な数々は、

当たり前であるとおっしゃっているのだと思います。

 

 

 

「思いどおり」にいくことなんて、本当に数少なく奇跡のような幸運なのです。

 

 

 

思いどおりにいかないことの方ががほとんどなのに、

それを無理して「思いどおり」にしようとするから苦しくなるのです。

 

 

 

周囲を変えようとする努力は無駄、しない方がいい、

ということを言っているわけではありません。

 

 

 

自分の置かれている環境に対して、まずは、あらがうことなく、

逆らうことなく、そのまま「受け入れる」。

とにかく、ありのままを「受け入れる」ということなのです。

それが、どんなものであっても。

 

 

 

その状況や環境の全ては、「今」の自分にとって

「ちょうど良い」のです。

 

 

 

親も、子供も、夫も、妻も、会社も、同僚も、上司も、部下も、

友達も、仲間も、ご近所さんも!!

 

 

 

もう一度言います。

ご縁の全てが「今」のあなたにとって

「ちょうど良い」ものばかりなのです。

 

 

 

今、目の前のご縁は、過去の自分が紡いできた結果でしかありません。

 

 

 

だから、全てのご縁(結果)を受け入れなさい、

と言っているのが帝王学なのです。

 

 

目の前のご縁を否定するということは、過去の自分を否定することになるから。

 

 

 

 

これは、とても厳しい視点のように感じるかもしれません。

私もこの厳しさに打ちのめされたように感じたものでした。

 

 

 

ですが、一番楽な視点でもあるのです。

誰にとっても「真実」に近いんじゃないかと思うのです。

 

 

 

 

「私たちはみな平等です。そして宇宙とは、私たちのお互い同士の関係です。

宇宙はただ一種類の実体からできていて、その一つひとつが生命を持ち、

一つひとつが自分の存在の仕方を自分で決めています」

タデウス・ゴラス著「なまけ者のさとり方」より

 

 

 

私が大好きな言葉です。

 

 

 

帝王はこういったことを明白に理解していて、

周囲の人達や状況をコントロールしようとせず、

曇りのない真っさらな目で真っ直ぐ事実だけを

見ることができる人なんだと思います。

 

 

 

みなさんも経験があると思います。

ひとつの現実に対して、見ていることやその現実に対する解釈が

人によって全く違うことを。

まるで、現実がいくつも存在しているかのように。

同じ現実に直面していたとしても、10人いたら10人の現実があるのです。

 

 

 

見ている立場や視点が変われば当然ではありますが、

実は、自分が現実だと思っていることを疑う視点もあった方がいい。

 

 

どれだけ多くの人が自分にとって都合の良いように

(あるいは都合の悪いように)物事を見たり聞いたり、

見なかったり聞かなかったりしていることか!!!!!(もちろん私も含めて!)

 

 

 

帝王とは、物事を真っさらに「ありのまま」に「そのまま」に

見ることができて、あらがうことなく、逆らうことなく、

そのままを「受け入れる」人なのです。

 

 

 

現実を真正面から受け入れて、

初めて、本当に「今、するべきこと」がわかるのです。

 

 

 

マネジメント経験のある方にとっては、

理屈ではなく身体で分かっていることかもしれません。

ですが、それがどれだけ難しいことかも、よ~く分かることと思います。

 

 

 

では、どのようにしたら、周囲の全てを「あるがまま」に

受け入れられるようになるのでしょうか。

 

 

 

瞑想する???

 

 

 

それも、有効と思います。

瞑想することで、頭の中がクリアになり心にスペースができるから。

 

 

 

ですが、やっぱり、自分の内側の声をどれだけ「あるがまま」に

受け入れてきたか、なのだと思うのです。

またまた、元に戻ってしまった感がありますね(笑)

それでも、どう考えても、やっぱり、

自分の内側の声に寛容になれるかどうかなのだと思うのです。

 

 

 

 

自分に対して「寛容」であればあるほど、

周囲に対しても「寛容」でいられるのです。

 

 

 

 

自分の内側に住んでいる、あらゆる自分に対して、

自分だけが「Yes」を言ってあげられるのです。

怠け者の自分も、鬼教師の自分も、弱くてダメな自分も、

攻撃的な自分も、恥ずかしい自分も、、、、、

「そのままでいいんだよ。」ってね。

 

 

 

そしたら、きっと少し楽になる。

 

 

 

そして、怠け者の部下や鬼教師のような上司に対しても、

「あ~、こういうのもあるよね。」という感じにサラッと受け入れられる。

 

 

 

 

いつもの自分じゃない自分、普通じゃない自分が現れたとき、

その度に繰り返し繰り返し、そういう自分が存在していることを認めていく。

 

 

 

その量が、ある一定の飽和量を超えたとき、

 

 

 

どんな状況に置かれても、物事全てをあるがままに受け入れる

帝王の自分が現れるのだと思います。

 

 

 

 

共にこの算命学/陰陽五行論を学んでいる経営者が

こんなことをおっしゃっていました。

 

 

 

 

「ここで学び初めてから、私が会議で発言することがほとんどなくなりました。

なんかしらのミス・トラブルがあったとしても、私が動くこともない。

経営者の立場というのは「ただ在るのみ」なんだと、つくづく感じています。」

と。

 

 

 

 

この方は、とある業界では有名な社長さんです。

とても安定した穏やかさを持った方です。

 

 

 

こんな暖かなまなざしで、暖かく見守ってくれる人がいる。

安心感に包まれた本領発揮できる職場になるんじゃないかな、と感じました。

 

 

 

あなたにとってなんかしらの力や栄養になりますように。

長文、読んで下さり、ありがとうございました。

 

 

感謝を込めて。