「徒然なるままに」
このコーナーでは、算命学/陰陽五行論、帝王学、パーソナルコーチ、
そういった観点全ての枠を取っ払って、私個人が思うこと、考えること、感じることを徒然なるままに、したためていきたいと思います。
第1回目の今日は「いかにあるか」について考えてみました。
一つ前の回、同じテーマで「パーソナルコーチの観点で」書いてみましたが、
今回は、自由に徒然なるままに、書き綴ってみます。
徒然なるままに①「いかにあるか」について考える
帝王学の観点で「いかにあるか」を問うたとき、
「いかにあるべきか」に近いニュアンスになると考えました。
帝王である(人の上に立つ立場にある)以上、
自分の発する言葉、行動、考え方、立ち居振る舞い、姿勢、といった全てに
人を変えてしまうような「影響力」をもってしまうから。
たとえ、自分が望んでいなくても。
しかし、そこにパーソナルコーチの観点が加わると少し変わりました。
本当の「いかにあるべきか」を考えたとき、
自分の心の声にもしっかり耳を傾け、大切にし、
実は「いかにありたいか」にも同時に答えること、
なのだと考えたからです。
ここまでは、前回、書いたものです。
こんなこと、あまりにも当たり前すぎて、
誰でも言えることじゃないか、
そんなこと、分かってるよ!
などと、批判の声が聞こえそうですね(笑)
ですが、このことを本当の意味で、深く心に刻むことになった
あるクライアントとの出会いがあったので、
今回は、そのいきさつについて守秘義務の範囲で触れたいと思います。
その方のおかげで、私はコーチングに対する考えがガラリと変わったのです。
ずいぶん前になりますが、
ある大手企業のマネジメント層に対するリーダーシップコーチングで
10ヶ月間コーチとして関わる仕事がありました。
私が担当する彼は部下を30名ほど抱えるマネージャーでした。
彼はそもそも、10ヶ月間もの長い間、リーダーシップを育成するというテーマで時間を割くことに批判的でしたし、私達コーチ陣に対しても懐疑的でした。
上司に言われたからコーチをつけるという場合、良くあることでしたから、私もあまり気にしませんでした。
当然、コーチングのスタートは予想どうり、悲惨なものでした。
なんのためにこの時間があるのか?
お前(私)はいったいどこの誰なんだ?
こんなことを10ヶ月やる意味が分からない。
といった感じです。
それでも、回数を重ねていく内に、関係性も構築できて心開いていくだろうと思ってました。
しかし、2回、3回と回数を重ねても、一向によくなる気配はありませんでした。
とにかく毎回のように、上司や部下に対する不平・不満・愚痴のオンパレード!!
コーチとして、とても良いセッションとは思えず、なんだか、毎回疲弊してしまいました。
半年ほど経過し、上司の方含め、このリーダーシップコーチングを受けているメンバーで集まる機会がありました。
日頃、私にぶつけている不平不満を、思いっきり上司にぶつけたらいいのに!
なんて思っていましたが、そんなことは全く起こりませんでした。
彼はそういった場では紳士的にスマートに振る舞うのです!!!!!!
なんだか、私の方がイライラしてくる・・・。
そんなとき、彼の上司が
「○○(彼の名前)は素晴らしいマネジメントをしている。○○に任せておけば、最後は必ずなんとかしてくれるから、安心して任せられる。」
と言ったのです!!
さらに、コーチングを受けだしてから、そのパフォーマンスはますます上がっているというのです。
ウソでしょう・・・?
その上司の反応に対して、ニコリともせずに淡々と過ごす彼。
私の頭の中は「???」が飛ぶ一方・・・。
その後のコーチングで上司からの高い評価について触れると、
「当然ですよ。○○さん(上司)が喜ぶように振る舞ってますから。」と。
彼は部下についても、こんなことを漏らしていました。
「人間に見えない。「業務」にしか見えない。」と。
そして、最後の最後まで不平不満愚痴でコーチングは終了したのでした。
最後の打ち上げのとき、やはり、彼の上司は
「○○は、本当によくやってくれている。何があっても、必ず何とかしてくれる。
コーチングのおかげで、さらに頼もしくなった。」
との高評価。私に対してまでも高評価でした。
コーチングの途中段階で、彼が置かれている現実を冷静にみたとき、
彼の役割は現場がミス・トラブルで炎上したときの消火要員でした。
彼は上司にとっても、部下にとっても、会社にとっても最後の砦なのです。
どんなに難しいミス・トラブルであっても、
人間関係が複雑に絡み合っていたとしても、
そもそも、スパゲッティシステムになっていたとしても、
彼のところで、なんとかしなければいけない。
なんとかしなければいけない、から、
なんとかなるまでやるしかない。
「なんとかなるまでやる」
以外の選択肢がないのです。
この責任の重圧ときたら、想像を絶するものだと思うのです。
「部下が人間に見えない。業務にしか見えない。」ほど、日々忙殺されていたのです。
そう思うようになってから、
良いコーチングをしようとか、本質的な変化を起こすとか、
そんなことは、どうでも良くなりました。
そして、コーチが思う良いコーチングセッションなんて、
コーチのエゴでしかない、と思ったのです。
もし、彼が、私にだけは不平不満愚痴といった本音を言えるのであれば、
私は「掃き溜め」であっても構わないと腹が据わりました。
そして、最後の最後まで、彼の心のお掃除をする「掃き溜め」であることができたのです。
私が20代の頃、よく、「新橋のおじさん」というような
居酒屋で会社や上司の愚痴をこぼす人達のことを比喩する表現がありました。
今は、どうなんでしょう?
「新橋のおじさん」という表現すらほとんど聞かなくなりましたが、
おそらく、そういった「はけ口」が少なくなっているように思います。
私達が20代の時に、「かっこ悪い」と思っていた「新橋のおじさん」。
もう、私達はその年代になっています。
でも、「新橋のおじさん」にならないように、私達世代は頑張っているんじゃないかと思うのです。
かっこいい自分でありたい、せめてかっこ悪いことをしたくない、
いつも冷静でスマートに仕事したい、
不平・不満・愚痴なんてもってのほか!!
自己実現したい、いや自己実現している自分でありたい、
大きな夢を持ちたい、大きな夢を持っている自分でありたい、
特別な自分でありたい、、、、、等々
「No1にならなくてもいい、もともと特別なOnly1」
と、かなり以前にSMAPが歌ってましたが、
それは「そのままの貴方で充分素敵だよ」というメッセージのはずが、
「特別なOnly1」にならなければいけないという「症候群」に駆られてしまっている気もします。
特別なOnly1を目指すということは、No1を目指すより、ずっとずっとハードルが高く、終わりがない永遠に続く「特別な自分探し」のループにはまってしまうのではないかと思うのです。だって、「普通」に生きちゃったらいけないような気がするから。
「嫌なことを嫌だ」と思ったって良い、
不平不満・愚痴だって吐いちゃえば良い、
妬みや嫉妬、恨み言だってあるよ、人間だもん。
特に今時の30代40代の働くママ達。
仕事もバリバリ、子育ても完璧に、女性としても綺麗でいたい!
って、本当にすご~く頑張ってると思う。
でも、誰かに自分の弱い部分や、情けないところを見せられているかな?
できれば夫がいいのだけど。
もし、誰にも見せられていないなら、
そういうダメな自分も「大好き!」って自分自身でハグしよう!!
もっともっと自分自身に寛容になっても大丈夫!!
とにかく、いつだって、みんな一生懸命生きている!!!!!
長文にお付き合い下さり、ありがとうございました。
感謝を込めて。