セルフコーチング⑤「幸せになる」から「幸せである」へ

前回、

「幸せになる」という表現から「幸せである」という表現に変えて

現実を捉え直してみる、という観点をご紹介しました。

 

 

 

少し復習すると、「幸せになる」という言葉は、

「今は幸せでなく、未来に幸せになる」ということが

無意識・無自覚に表現として含まれてしまっているからです。

 

 

 

さらに、「○○を手に入れれば、幸せになる」あるいは、

「○○を達成すれば、幸せになる」というように、

こちらも無意識・無自覚に幸せを条件付きにしてしまっているのです。

 

 

 

「幸せになる」という表現と「幸せである」人の違いは

「今、ここ」「今、この瞬間」を幸せと感じられるかどうか、なのです。

 

 

 

「幸せである」人は幸せを先送りにしないのです。

 

 

 

それでは、「幸せである」人は目標を立てることや

何かを達成することをしないのでしょうか?

 

 

 

いえいえ。「幸せである人」ももちろん、

人生を豊かに有意義にするような目標や目的を持つこともあります。

 

 

 

ただ、「幸せになる」人が目標や目的が達成できたら幸せになるのに対し、

「幸せである」人は、プロセス、課程そのものを楽しみ、

その中で起きる小さな達成感や充実感を幸せとして味わっているのです。

 

 

 

それでは、どうしたら、「幸せである」人になれるのでしょう?

 

 

 

答えはいたってシンプルです。

 

 

 

「幸せである」ことを許可するのです。

 

 

 

あなたがあなた自身に「幸せである」ことを許すのです。

 

 

 

「幸せである」ことを許可するにはこんな言葉が力になります。

 

 

 

「私は、私が幸せであることを許します。」

 

 

 

「私には、幸せである価値が充分にあります。」

 

 

 

「私は私を幸せにする力を持っています。」

 

 

 

「私は、幸せを感じるに値する人間です。」

 

 

 

「私は、今、この瞬間から幸せを見つけることが出来ます。」

 

 

 

「私は、喜びや楽しみ、嬉しさを実感でき、味わうことができます。」

 

 

 

「私は私を愛しています。」等々・・・・・

 

 

 

これらの言葉をスッキリと受け入れられますか?

 

 

 

それとも、なんだか胸がザワザワしたり、くすぐったい気持ちになったり、

なんとなく受け容れ難いような気持ちになったり、

イライラとする気持ちが起きたりしませんでしたか?

 

 

 

私の経験上、自分を厳しく律し、常識人として、

正しく生きてきた40代・50代の特に高学歴の方達は、

なかなか受け入れられない言葉であるような気がします。

 

 

 

子供の頃から、

「将来のため」「将来のため」と勉強やスポーツに頑張ってきた方達。

良い大学に入るために、寝る間も、友達と遊ぶ間も惜しんで勉強して。

良い大学に入ったら、今度は、良い企業に入るために、

またまた勉強や部活動に熱中して。

良い企業に入ったら、今度は、誰よりも早く昇進しようと躍起になり、

良いポジションを目指して。

良いポジションを得たなら、今度は老後の安定の為に、

少しでも長く会社に在籍できるよう社内政治に奮闘して。

 

 

 

とにかく、

「将来のため」「将来のため」と子供の頃から言われ続けたのですから、

「幸せになる」ために努力をするのは当然と感じていらっしゃるでしょう。

 

 

あるいは「幸せ」とは、努力しないと手に入れられないもの、

と感じているかもしれません。

 

 

今、目の前にある幸せを実感する間もないほどに、

真面目に真摯に、駆け抜けて頑張って、一生懸命に生きてきた方達。

 

 

 

そんな駆け抜けてきた方達も、少し立ち止まってみませんか。

今、目の前にある「幸せ」を感じても良いのですから。

「幸せ」を感じる力は誰もが充分に持っていますし、

誰もが「幸せ」になる価値があるのです。

 

 

 

五感を開いて、「幸せ」とはどういう感覚なのか味わってみてください。

 

 

 

都会の中にある小さな自然に感動したり、

暖かいミルクティーにほっとしたり、

雨上がりの土の匂いを嗅いでみたり、

初秋の心地よい風を肌で感じてみたり、

街路樹からこぼれる日差しの美しさを眺めたり。

 

 

 

何かの大きな目標や目的に向かっているという充実感。

今、目の前にある小さな目標をひとつづつクリアしていく達成感。

大きな壁にぶち当たったときに、苦しみながらも耐え抜いた自信。

時には、手を差し出して助けてくれる人や、指導してくれる人の存在。

お互いに励まし合い、慰め合いながら苦境の中を共に行く仲間との出会い、

等々。

 

 

 

これも全て「幸せ」であるのです。

 

 

 

何かを達成しなくても、「幸せ」を感じても良いのです。

 

 

 

そして、「幸せ」を感じられる人は

誰かを「幸せ」にすることができる人でもあるのです。

 

 

だけどね、「幸せである」ことをどうしても許可できなかったら、

「幸せになる」ために頑張るという選択をしても良いのですよ。

それが、あまりにも自然に身についた生き方だとしたら、

それはそれで良いのです。人生に正解はありませんから。

 

 

 

少しでも、誰かの力や栄養になりますように。

 

 

 

次回は「帝王学」の観点で「幸せである」ことを探求したいと思います。

 

 

 

長文読んでくださり、ありがとうございます。

 

 

 

感謝を込めて。

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