帝王学の格言⑨最幸のあり方

前々回、

 

「幸せになる」という表現から「幸せである」という表現に変えて

 

現実を捉え直してみる、という観点をご紹介しました。

 

そして、前回はどうしたら「幸せである」人になれるのか、

 

について考察してみました。

 

まずは、シンプルに

 

自分自身に「幸せ」であることを許可する、ということ。

 

何かを達成しなくても、幸せであっても良いのです。

 

幸せは努力の先にあるもの、ではなく、「今ここ」で感じても良いのです。

 

幸せを「先送り」にしなくても良いのです。

 

 

 

 

そして、今回は帝王学の観点で「幸せである」とはどういうことか、

 

を考察したいと思います。

 

 

 

 

帝王学で言っていることも、実は、いたってシンプルです。

 

 

 

 

「エゴや我欲を捨てて、傲慢にならず、謙虚に、

ただただ、目の前の人にお尽くししなさい。」

 

 

 

 

帝王学では、いつも、このことを角度や言葉を変えて言っているのです。

 

 

 

 

これを本当にまっさらな心で純粋に実直に行動できたとしたら、

これほど幸せな生き方はないんじゃないか、と思うのです。

 

 

 

エゴや我欲は過去の痛手から生まれた思い込みや将来への不安によって拡大し、

人間関係における不必要なしがらみで拡散、肥大化していきます。

 

 

 

そのエゴや我欲を捨てることができたなら、

どんなに楽に自然に生きられることか。

 

 

 

 

他者が到底気付かない視点の高さや知見の広さを、

傲慢にならず謙虚さをもって、人に伝えることができたなら、

どれほど多くの人に影響を与えられるだろうか。

 

 

 

 

無我の境地で、ただただ一所懸命に、目の前の人にお尽くしする、

こんな風に生きられたら、奉仕貢献する喜びに満ち溢れるのではないだろうか。

 

 

 

 

人は「利己的」に生きるよりも、

「利他的」に生きた方が

幸せでいられると思うのです。

 

 

 

人に尽くす前に、まずは「自分」から、という考え方もあります。

それはそれで、良いと思うのです。

自分を満たすことはとても大切ですから。

 

 

 

ただ、「帝王」として、自らの人生や時代を切り開いていくということは、

自分=他者であり、他者の幸せ=自分の幸せ

と感じらるのではないかと思うのです。

 

 

 

 

これを本当に純粋に心の底から実感できて、実行に移せる人がいたら、

なんて幸せなあり方なんだろう、と思うのです。

 

 

 

 

最も幸せなあり方、最幸のあり方は、

 

「エゴや我欲を捨てて、傲慢にならず、謙虚に、

ただただ、目の前の人にお尽くしする。」

 

を純粋に実行する人、なのだと思うのです。

 

 

 

 

シンプルで簡単そうに思えて、難しいようにも感じます。

 

 

 

 

でも、やっぱり簡単なんじゃないかな、とも感じます。

 

 

 

 

子供のころに無我夢中になって、遊びに集中した体験。

 

学生時代の部活動などで、チームのために我を忘れた体験。

 

世の中を良くしようと開発に集中したフロー体験。

 

 

 

 

「無我」の境地。

 

 

 

 

そこには過去のしがらみも、未来への不安もなく、

 

 

 

 

やっぱり、「今、ここ」だけに完全にある状態。

 

 

 

「エゴや我欲を捨てて、傲慢にならず、謙虚に、

ただただ、目の前の人にお尽くしする。」

 

 

 

私は正直、できているときもあるけれど、できていない時がほとんどです。

 

 

 

でも、できている時は、本当に幸せだったと思えます。

 

 

 

であれば、できている時を増やすのみ!!精進するのみですね。

 

 

 

 

長文読んでくださり、ありがとうございました。

 

 

 

感謝を込めて。

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