【セルフコーチング⑩】「存在」が先、「行為」が後

 

久しぶりのセルフコーチングについての投稿です。

 

帝王学で大事にしている教えのひとつとして、

「運は動より生ず。」という言葉があります。

 

運(=運命)は動いていれば、自ずと切り開かれていくもの、

という意味で使われています。

 

実際、お師匠様は、特に若い人に「まず動け!!」とアドバイスすることが多いように感じます。

 

あれ?と感じた方もいらっしゃるでしょう。

 

そうなんです。今日は、全く逆のことを言っているんです。

 

帝王学の教えと反することにならないか?

 

これが、どっこい、ならないのです。

 

言っていることの根っこでは繋がっているのだと思います。

 

いったい、どういうことなのでしょうか?

 

動いても動いても変わらない、という方や

家長であったり、部下をもつ管理職、教師、経営者といった

影響力のある人、守るべき相手がいる人にとっては、

『「存在」が先、「行為」が後。』の方がしっくりくると思います。

 

それでは、「存在」と「行為」の関係性をみていきましょう。

 

 

 

多くの人は、長い間、「何かをする」というレベルで問題を解決しようとしてきました。

 

それは、ある程度までは上手くいっていたように感じましたが、

 

どこかのラインでぴたっと成長や変化が止まってしまうやり方だったのです。

 

実は、真の進化・変化・成長は、つねに「何かをする」レベルではなく、

「どういう存在であるか」というレベルで起こっているからです。

 

そのことに無自覚・無意識であったにせよ、意識的であったにせよ

気付いている人だけが、成長し続け、時代の変化に対応し、進化していったのです。

 

あなたが経験する「行為」はあなたの「存在」から生じています。

あなたの「行為」があなたを「存在」に導いているのではないのです。

 

あなたが最初に「幸福」で在れば、「幸福」だから何かをすることになります。

「幸福」になりたいから、何かをするのではありません。

 

あなたが最初に「智恵」であれば、「賢い」から何かをすることになります。

「智恵」を獲得しようと、何かをするのではありません。

 

あなたが最初に「愛」であれば、「愛」だから何かをすることになります。

「愛」を獲得しようとして、何かをするのではありません。

 

あなたが、幸福、智恵、愛の存在になりたいと願うならば、

「行為」によって「そこ(存在)」に行き着くことはできませんが、

「そこ(存在)」に行き着けば、自ずと素晴らしい「行為」をします。

それが真実なのです。

 

 

例えば、あなたが「自由でありのままの自然体で、行動力のある人」

でありたいと思ったとしましょう。

 

その人はどんな雰囲気で、どんな服装で、どんな声で、どんな姿勢で、

どんなことを好み、どんな人たちと仲良くし、どんな物を食べていますか?

そして、口癖や、行動パターンがあるとしたら、それはどんなものでしょう?

その人は、一言で言うと、どんな人ですか?

 

 

その人は好奇心旺盛な子供のようなキラキラした瞳で、

白いTシャツにジーンズ姿。いつもリュックサックを背負ってる

←このリュックひとつで何処にでも旅に出ている。

希望に満ちあふれたイキイキした声で、姿勢はシャキっとしていて軽やかで身軽。

いろんな人とおしゃべりをするのが好きで人間好き、多種多様なお友達がいて、

世界各国の色々なお料理を楽しんでいる。

口癖は「やった!」「ラッキー!」「ちょうど良かった!」「運が良い!!」

行動パターンとしては、典型的な楽観主義者。

どんなに大変な状況・環境にあっても前述の口癖を言いながら解決してしまう。

(例えば、傘を持たずに、急などしゃぶりの雨にあっても

「ちょうど良かった!買いたかった本があるから、本屋さんで時間を潰そう!」

というように発想を転換させる。)

一言で言うと、「どんな逆境も乗り越える自然体の楽観主義者」のようなイメージでしょうか。

 

 

そのような人ならどんな「行為」をするでしょうか?

「どんな状況・環境に置かれても、仲間を見つけながら、自分なりに突破口を探し出し、前向きに楽しく行動する。」

 

そのような人が絶対にしない「行為」はなんでしょうか?

「人に媚びへつらう」「嫌いな事を我慢してやる」「制限・管理下に置かれた生活」「あきらめる事」

 

 

もうひとつ例をあげましょう。もし、あなたが「顧客にも部下にも誠実で真摯な賢いリーダー」

でありたいと思ったとしましょう。

 

その人はどんな雰囲気で、どんな服装で、どんな声で、どんな姿勢で、

どんなことを好み、どんな人たちと仲良くし、どんな物を食べていますか?

そして、口癖や、行動パターンがあるとしたら、それはどんなものでしょう?

その人は、一言で言うと、どんな人ですか?

 

その人は穏やかで真面目だけれどユーモア溢れる雰囲気で、

カジュアルなんだけどきっちりしたスーツ姿で、落ち着いた安定した優しい声で、

自然体でありのままだけど堂々としていて、多趣味でスポーツにも芸術にも興味があって、

誰とでも気楽にざっくばらんに会話を楽しみ、交流関係が幅広いけれど誰とでも分け隔てなく自然体に接していて、

好き嫌いなく何でも美味しいと食べるけれど、隠れた美食家でもあって。

口癖は「お客様は、どうしたいと言ってる?」「お前はどうしたい?」「何とかなる!大丈夫!大丈夫!」「○○さん、最近どうですか?」「みんな、元気か?」「必ず結果を出す!」「チームで達成しなきゃ意味がないんだ」と良く言っている。

 

一言で言うと、「私利私欲のない利他的な真摯で誠実な人」

 

そのような人ならどんな「行為」をするでしょう?

「常に部下とお客様のために尽くして、本質的なことの為なら例え上層部の意見に反しても提言することをいとわない。」

 

そのような人が絶対にやらない「行為」はなんでしょうか?

「上司の言いなりになること」「自分の出世の為に仕事をすること」「部下を犠牲にすること」「お客様をだますこと」

 

また、人生における様々な役割でどのような「存在」でありたいですか?

 

娘として、息子として、母として、父として、妻として、夫として、

部下として、上司として、経営者として、地域住民として、日本人として、地球人として。

 

どのような存在で在りたいでしょうか?

可愛い娘?優しい母?賢い夫?敏腕経営者?

 

自分がどういう「存在」で在りたいかをより具体的にイメージすると、

その存在として、自ずと「行為」が出てくるようになります。

 

 

ここで、注意する点があります。

例えば、「何でも問題解決できる賢い人」でありたいと思ったとしましょう。

これは、注意が必要です。問題解決するコンサルティングなら、良いのかもしれません。

 

なぜなら、「問題」は「問題を探している人」のところに集まってくるからです。

 

私の事例で恐縮ですが、まだ子供が未就学児だった頃、常に問題解決している知人と出会いました。

その方が言うには、「この子のこういうところが問題だ。解決しなきゃならない。」

「この子がこういうことをするのは、家庭に問題があるからだ。」

「食べ方が汚い。」「体力がない。」「自分で遊べない。」

「ほら、私の言ったとおりにすれば、こんなに良くなった!」と言った具合でした。

そして、その知人の周りは常に「問題」だらけになっていました。

 

何故そんな風になるかは、もう簡単に分かりますね。

「問題」は「問題探ししている人」のところに集まってくるからです。

 

 

そもそも善悪の区別のつかない小さな子供に「問題」などあるでしょうか?

 

今、体験や経験から「学び」中なのであって、ただ教えてあげれば良いだけのこと。

 

それは、新入社員や若手にも言えることかもしれません。

社会人としての立ち居振る舞いを学んでいる最中であって、問題ではなく

ただただ、「体験」中であるということを忘れてはいけません。

 

「問題」に対しては、「問題」が消えてしまうような「存在」になることです。

それは、実は至って簡単なんです。

 

「こうでなければならない、しなければならない、ことは何もない」と考えることです。

 

 

 

あと、もう一つ注意する点は「在りたい自分」を描くとき、

肯定文で表現するということです。

否定文で表現しないように気をつけてくださいね。

 

具体的には「嫌みで、暗い人ではありたくない」ではなく、

「好感のもてる明るい人でありたい」といった感じです。

 

 

大変長くなってしまい失礼致しました。本日はこの辺で。

 

 

長文読んでくださり、ありがとうございました。

 

※参考文献「神との対話③~宇宙になる 自分になる~」

 

感謝を込めて。

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