【セルフコーチング⑩】「存在」が先、「行為」が後

 

久しぶりのセルフコーチングについての投稿です。

 

帝王学で大事にしている教えのひとつとして、

「運は動より生ず。」という言葉があります。

 

運(=運命)は動いていれば、自ずと切り開かれていくもの、

という意味で使われています。

 

実際、お師匠様は、特に若い人に「まず動け!!」とアドバイスすることが多いように感じます。

 

あれ?と感じた方もいらっしゃるでしょう。

 

そうなんです。今日は、全く逆のことを言っているんです。

 

帝王学の教えと反することにならないか?

 

これが、どっこい、ならないのです。

 

言っていることの根っこでは繋がっているのだと思います。

 

いったい、どういうことなのでしょうか?

 

動いても動いても変わらない、という方や

家長であったり、部下をもつ管理職、教師、経営者といった

影響力のある人、守るべき相手がいる人にとっては、

『「存在」が先、「行為」が後。』の方がしっくりくると思います。

 

それでは、「存在」と「行為」の関係性をみていきましょう。

 

 

 

多くの人は、長い間、「何かをする」というレベルで問題を解決しようとしてきました。

 

それは、ある程度までは上手くいっていたように感じましたが、

 

どこかのラインでぴたっと成長や変化が止まってしまうやり方だったのです。

 

実は、真の進化・変化・成長は、つねに「何かをする」レベルではなく、

「どういう存在であるか」というレベルで起こっているからです。

 

そのことに無自覚・無意識であったにせよ、意識的であったにせよ

気付いている人だけが、成長し続け、時代の変化に対応し、進化していったのです。

 

あなたが経験する「行為」はあなたの「存在」から生じています。

あなたの「行為」があなたを「存在」に導いているのではないのです。

 

あなたが最初に「幸福」で在れば、「幸福」だから何かをすることになります。

「幸福」になりたいから、何かをするのではありません。

 

あなたが最初に「智恵」であれば、「賢い」から何かをすることになります。

「智恵」を獲得しようと、何かをするのではありません。

 

あなたが最初に「愛」であれば、「愛」だから何かをすることになります。

「愛」を獲得しようとして、何かをするのではありません。

 

あなたが、幸福、智恵、愛の存在になりたいと願うならば、

「行為」によって「そこ(存在)」に行き着くことはできませんが、

「そこ(存在)」に行き着けば、自ずと素晴らしい「行為」をします。

それが真実なのです。

 

 

例えば、あなたが「自由でありのままの自然体で、行動力のある人」

でありたいと思ったとしましょう。

 

その人はどんな雰囲気で、どんな服装で、どんな声で、どんな姿勢で、

どんなことを好み、どんな人たちと仲良くし、どんな物を食べていますか?

そして、口癖や、行動パターンがあるとしたら、それはどんなものでしょう?

その人は、一言で言うと、どんな人ですか?

 

 

その人は好奇心旺盛な子供のようなキラキラした瞳で、

白いTシャツにジーンズ姿。いつもリュックサックを背負ってる

←このリュックひとつで何処にでも旅に出ている。

希望に満ちあふれたイキイキした声で、姿勢はシャキっとしていて軽やかで身軽。

いろんな人とおしゃべりをするのが好きで人間好き、多種多様なお友達がいて、

世界各国の色々なお料理を楽しんでいる。

口癖は「やった!」「ラッキー!」「ちょうど良かった!」「運が良い!!」

行動パターンとしては、典型的な楽観主義者。

どんなに大変な状況・環境にあっても前述の口癖を言いながら解決してしまう。

(例えば、傘を持たずに、急などしゃぶりの雨にあっても

「ちょうど良かった!買いたかった本があるから、本屋さんで時間を潰そう!」

というように発想を転換させる。)

一言で言うと、「どんな逆境も乗り越える自然体の楽観主義者」のようなイメージでしょうか。

 

 

そのような人ならどんな「行為」をするでしょうか?

「どんな状況・環境に置かれても、仲間を見つけながら、自分なりに突破口を探し出し、前向きに楽しく行動する。」

 

そのような人が絶対にしない「行為」はなんでしょうか?

「人に媚びへつらう」「嫌いな事を我慢してやる」「制限・管理下に置かれた生活」「あきらめる事」

 

 

もうひとつ例をあげましょう。もし、あなたが「顧客にも部下にも誠実で真摯な賢いリーダー」

でありたいと思ったとしましょう。

 

その人はどんな雰囲気で、どんな服装で、どんな声で、どんな姿勢で、

どんなことを好み、どんな人たちと仲良くし、どんな物を食べていますか?

そして、口癖や、行動パターンがあるとしたら、それはどんなものでしょう?

その人は、一言で言うと、どんな人ですか?

 

その人は穏やかで真面目だけれどユーモア溢れる雰囲気で、

カジュアルなんだけどきっちりしたスーツ姿で、落ち着いた安定した優しい声で、

自然体でありのままだけど堂々としていて、多趣味でスポーツにも芸術にも興味があって、

誰とでも気楽にざっくばらんに会話を楽しみ、交流関係が幅広いけれど誰とでも分け隔てなく自然体に接していて、

好き嫌いなく何でも美味しいと食べるけれど、隠れた美食家でもあって。

口癖は「お客様は、どうしたいと言ってる?」「お前はどうしたい?」「何とかなる!大丈夫!大丈夫!」「○○さん、最近どうですか?」「みんな、元気か?」「必ず結果を出す!」「チームで達成しなきゃ意味がないんだ」と良く言っている。

 

一言で言うと、「私利私欲のない利他的な真摯で誠実な人」

 

そのような人ならどんな「行為」をするでしょう?

「常に部下とお客様のために尽くして、本質的なことの為なら例え上層部の意見に反しても提言することをいとわない。」

 

そのような人が絶対にやらない「行為」はなんでしょうか?

「上司の言いなりになること」「自分の出世の為に仕事をすること」「部下を犠牲にすること」「お客様をだますこと」

 

また、人生における様々な役割でどのような「存在」でありたいですか?

 

娘として、息子として、母として、父として、妻として、夫として、

部下として、上司として、経営者として、地域住民として、日本人として、地球人として。

 

どのような存在で在りたいでしょうか?

可愛い娘?優しい母?賢い夫?敏腕経営者?

 

自分がどういう「存在」で在りたいかをより具体的にイメージすると、

その存在として、自ずと「行為」が出てくるようになります。

 

 

ここで、注意する点があります。

例えば、「何でも問題解決できる賢い人」でありたいと思ったとしましょう。

これは、注意が必要です。問題解決するコンサルティングなら、良いのかもしれません。

 

なぜなら、「問題」は「問題を探している人」のところに集まってくるからです。

 

私の事例で恐縮ですが、まだ子供が未就学児だった頃、常に問題解決している知人と出会いました。

その方が言うには、「この子のこういうところが問題だ。解決しなきゃならない。」

「この子がこういうことをするのは、家庭に問題があるからだ。」

「食べ方が汚い。」「体力がない。」「自分で遊べない。」

「ほら、私の言ったとおりにすれば、こんなに良くなった!」と言った具合でした。

そして、その知人の周りは常に「問題」だらけになっていました。

 

何故そんな風になるかは、もう簡単に分かりますね。

「問題」は「問題探ししている人」のところに集まってくるからです。

 

 

そもそも善悪の区別のつかない小さな子供に「問題」などあるでしょうか?

 

今、体験や経験から「学び」中なのであって、ただ教えてあげれば良いだけのこと。

 

それは、新入社員や若手にも言えることかもしれません。

社会人としての立ち居振る舞いを学んでいる最中であって、問題ではなく

ただただ、「体験」中であるということを忘れてはいけません。

 

「問題」に対しては、「問題」が消えてしまうような「存在」になることです。

それは、実は至って簡単なんです。

 

「こうでなければならない、しなければならない、ことは何もない」と考えることです。

 

 

 

あと、もう一つ注意する点は「在りたい自分」を描くとき、

肯定文で表現するということです。

否定文で表現しないように気をつけてくださいね。

 

具体的には「嫌みで、暗い人ではありたくない」ではなく、

「好感のもてる明るい人でありたい」といった感じです。

 

 

大変長くなってしまい失礼致しました。本日はこの辺で。

 

 

長文読んでくださり、ありがとうございました。

 

※参考文献「神との対話③~宇宙になる 自分になる~」

 

感謝を込めて。

【セルフコーチング⑨】完了することの大切さ

 

3月はお別れの季節と言われています。

 

卒業、退職、終業、定年退職、人事異動等、

人によって様々な理由はありますが、多くの人にとって、

大きな変化を体験するタイミングであると思います。

 

人生があなたを主人公とする長い長い物語だとすると、

この変化は、新しい章へと物語を紡いでいくタイミング、

ということになります。

 

そういう節目のタイミングで私が必ず行うのが

「完了セッション」です。

 

物事の終わりに、今までいた場所、関係性、過ごした時間といった

これまでの物語をきっちり完了させる、というのは、実はとても大切なことなのです。

 

物事に決着をつける、という表現の方が伝わるかもしれません。

 

それは、人生を物語に例えると、

「章」や「段落」が変わるというイメージです。

 

「章」や「段落」が全くない物語は、なんだかダラダラとしていそうです。

 

人生の変化の節目に、しっかりと「完了」させることの大切さは

竹に節があるように、しなやかで柔軟な人生を生きる道しるべにもなるでしょう。

 

そんな物事の完了をどのようにするのか。

 

実は、以外にも「完了セッション」はとても簡単なのです。

 

「卒業」や「退職」といった終わった出来事を振り返るだけで良いのです。

 

振り返るとき、次の「問い」に沿って進みます。

 

 

「○○で過ごした○年間の振り返り」と題し、

(例えば、A社で過ごした10年間、○○大学で過ごした4年間、

○○プロジェクトで過ごした半年間といった具合です。もちろん数ヶ月でも構いません。)

 

○○で過ごしたこの○年間(○ヶ月)で、

 

① 良かったこと、悪かったことは何ですか?

 

② 得たこと、手放したことは何ですか?

 

③ 結局、あなたにとってどんな○年間でしたか?

(あなたの人生全体にとってどんな影響を与えましたか?)

 

④ ここでの学びや気付きは後の人生で、どのように生かされると思いますか?

 

以上、4つのシンプルな問いです。

 

とてもシンプルな問いですが、

とても心地の良い、決着の付け方が出来ることと思います。

 

そこまで言える理由は、

今まで完了セッションを行ったほとんどのクライアント様が

「感謝」で終わることができているからです。

 

どんなに劣悪な環境に置かれていた時間を振り返ったとしても、

 

最後の最後には、

 

「感謝」しか出てこない。

 

これほど、最高の終わり方があるでしょうか。

 

そして、感謝で終わった後の未来がどのようになるか。

 

想像するだけで、胸がじんわりと温かくなります。

 

あなたが、もし、人生の節目にあったなら、

だまされたと思って、この4つの問いに

ぜひ答えてみてください。

 

きっと、優しく温かい気持ちで、感謝で終わらせることができるでしょう。

 

長文読んでくださり、ありがとうございました。

 

感謝を込めて。

【セルフコーチング⑧】気持ちや感情は大切な情報

こちらのページをご覧頂き、ありがとうございます。

今回のセルフコーチング⑧は前回の⑦の続きになります。

なので、セルフコーチング⑦枠を超えた見方・考え方をする方法の復習から始めますね。

少し、長文になってしまいますが、最後まで読んでくださったら嬉しいです。

前回、かつて私たちは多くの場合、人や物事に対して善悪価値判断で見ることが前提になっていると言及しました。

善し悪しは「正しい」「間違っている」とも言い換えられ、当然、私たちは「良い人」や「正しい人」に分類されるために必死に生きてきたのです。

そして、私たちは自分の正しさを証明するために、「悪い事・人」や「間違っている事・人」を無意識・無自覚に探してしまいます。

同質の者同士だと安心安全を感じ、異質な者に対して、恐れや恐怖を感じ叩いてしまう。

それが集団になってくると、子供のいじめや仲間はずれが起こります。

さらにその集団化されたエネルギーが強烈にエスカレートすると、差別や偏見といった分断された世界が生まれ、ついには宗教間、国同士の戦争までをも引き起こしてしまうのです。

そうです。善悪の価値判断が前提になっていると、「分断」が起きてしまうのです。

Withコロナの時代に必要なのは「連帯」とよく取り上げられています。

以前のような善悪価値判断が前提の考え方にとらわれていては「連帯」を生み出すのは難しくなるのです。

そうになったとき、次のように考えてみることを提案しました。

全ての物事は、必要があってこのようになっているんだ。

全ての人が価値ある存在で、全ての人が役割を持って生まれてきたんだ。

さて、ここまでが前回の復習です。

ここからが今回の本題です。実は、私たちは気持ちや感情にまで、善悪の価値判断をしてきたのです。

ポジティブ、ネガティブ、と善悪で切り分け、悪いと言われている怒りや悲しみ、嫉妬や妬みといった感情は抑圧すべきだと考えられてきました。

子供の頃から、怒ったり泣いたりすると、「わがまま言うんじゃありません」などと叱られてきました。

なにか嬉しいことがあって大喜びしても「そんなに浮かれるものじゃありません」と言われてしまうのです。

特に日本人は、自分の感情を素直に表現することを「はしたない」といった理由で、抑えつけるような教育を受けてきたように感じます。

子供時代に感情を抑えることを学ぶのは、とても大事なことではあります。

そうしないと、社会秩序が乱れてしまい、極端に表現すると、法の下の平等も崩れてしまうからです。

そうならないよう、感情の赴くままに暴走してしまわないよう、子供のうちから訓練されてきたのです。

「我慢しなさい」「我慢しなさい」「我慢しなさい」と。

そして、大人にとって都合の良い子が「優秀」で「良い子」とされてきたのです。

特に、「優秀」で「良い子」と言われてきた人達の中には、

自分の正直な気持ちを抑えつけているうちに、それが当たり前になってしまい、

抑えつけているという感覚もないままに、自分の気持ちや感情を感じなくなってしまうことがあるのです。

そして、こんな状態がエスカレートすると、

自分が何をしたくて、何を喜びと感じて、どんなことをしていると楽しいか、

といった自分の「望み」や「喜び」までも分からなくなってしまうのです。

実は、「何をしても楽しく感じません」や極端な状況ですと、

「楽しいとか嬉しいとか、良く分かりません」といった言葉を発する大人が結構いらっしゃいます。

実は、そんな方達の多くは、社会的ステータスが高く、子供の頃から真面目で優秀だったという方に多く感じます。

それでは、どうしたら良いのでしょう。

気持ちや感情はいったいどこからやってくるのでしょうか?

気持ちや感情は、単なる「情報」です。

気持ちや感情は自分の「魂」から発せられた「情報」なのです。

魂が「快」を感じているのか、「不快」を感じているのか、

魂が「好き」なのか、「嫌い」なのかを知らせてくれているのです。

気持ちや感情に耳を傾けると、

私たちが何を望んでいるのか、何を大事に生きていきたいのか、

が分かってきます。

私たちは魂が望んでいることを体験すると「喜び」や「楽しさ」、「わくわくした気持ち」「希望」や「安心感」「愛」などを感じます。

もっと言うと、自分が大事にしたい「価値観」を大切にしていると、ポジティブな感情を味わえるのです。

逆に私たちは魂が嫌なことを体験すると「怒り」や「悲しみ」「嫉妬」や「妬み」「恐れ」や「恐怖」などを感じます。

もっと言うと、自分が大事にしたい「価値観」を大切に出来なかったり、蔑ろにされたりすると、ネガティブな感情を味わってしまうのです。

じゃあ、ポジティブな感情だけを味わえるようにするにはどうしたらいいの?

と思わず、楽な方を選びたくなってしまうのが心情ですが、そんなことは不可能なのです。

どうしたって、自分の魂の声や価値観を大切に出来ない蔑ろにせざる負えない体験・経験は生きている限りあるものなのです。

例えば、大切な人が亡くなってしまった時や同僚が先に昇進する、長く付き合っていた人と別れる、大失恋するなど、避けようがありません。

どうしたって、他に例えようのない大きな悲しみやさみしさ、孤独感や絶望感を感じてしまうものなのです。

それが人間なのです。

悲しみや怒りを感じることは悪い事でしょうか?

いえ、とても純粋で正直な気持ちなら、「美しさ」すら感じるはずです。

「怒り」のエネルギーはとてつもない強烈な原動力になることを多くの方が知っていると思います。

ネガティブな感情は決して悪いものではないのです。

ネガティブな感情が生まれるような体験・経験も、

その時、その瞬間に必要があって、その体験・経験をしているのです。

そんな気持ちや感情にまで、善悪の価値判断を持ち込んでしまうと、おかしなことになってしまいます。

ある人に対して思わずネガティブな感情を抱いてしまったとします。

「嫌だ」「嫌いだ」「嫉妬してしまう」といったことが悪いことと決めつけていると、

思わず「この人が悪い人なんだ」「この人のこういう所が間違っている」と瞬間的に考えてしまうのです。

この考え方の裏にあるのは、「私が良い人」で「私が正しい人」でなければならないから。

「良い」私、「正しい」私が人を嫌ったり、嫉妬するわけがない、のです。

悪いのは、間違っているのは、この人で、私ではない、のです。

その事を証明するために、同士を探し出したくなるのが人の性。

「ねぇ、あの人って、こういうところが間違ってるよね。」と。

こんな一連の流れを瞬間的に反応的に何万分の1秒という早さで行ってしまうのも、また人間なのです。

だから、先に申し上げたのは、気持ちや感情は単なる「情報」なのだ、ということです。

「魂」の声をキャッチアップした結果でしかありません。

魂の声は至って、単純です。

「快/不快」「好き/嫌い」

以上、終わり。なのです。

つまり、私たちは個人の「快/不快」「好き/嫌い」にいちいち理由をつけていたのです。

善悪価値判断というジャッジメントを。

なにかの出来事・人に対して思わずネガティブな感情が沸いてしまったら、

「あぁ、私はこの事が不快なんだなぁ。」

「あぁ、私はこの人のこういう所が嫌なんだなぁ。」

と味わえば良いのです。それ以上でもそれ以下でもありません。

それだけで、充分なのです。

感情に蓋をしてしまったり、気持ちを抑えつける必要はありません。

ただただ味わうのです。

なぜなら、必要があってその出来事が起こり、

必要があって、その人と出会っているからなのです。

大人になって役割が増えると、この感情を純粋に素直に

味わうということがますます難しくなってきます。

「社長として」「部長として」「部下として」「父として」「母として」「夫として」「妻として」

「大人として」振る舞わなければならない場面が多くなればなるほど、

自分の素直な感情を感じ吐露するなど、ますます出来なくなってしまいます。

けれど、本当の自分を知りたければ、

どうか自分の気持ちや感情に耳を傾けてください。

気持ちや感情に善悪価値判断をつけず、ただただありのまま感じてみてください。

大声で笑って喜んでも良いし、悔しくて大きな声で泣いても良いのです。

怒りが爆発しても良いのです。誰も見ていないところなら枕を殴ったって良いのです。

感情をそのまま味わって、吐露すると、その感情は完了します。

それが「スッキリ」したという感覚です。

そうなんです。気持ちや感情は「スッキリ」するまで味わえば良いだけなのです。

蓋をして抑圧すると、その感情や状態は継続します。

受け入れずに抵抗していると、長引くのです。

感情を大切にするとは、自分の気持ちや感情を受け入れて受容すること。

寛容であることなのです。

そんなことをしていては、「わがまま」な人間になってしまはないか?

思わず、そんな問いが生まれてきそうですね。

次回は、そのあたりのことに触れてみたいと思います。

長文にお付き合いくださり、ありがとうございました。

感謝を込めて

※掲載にあたっては、お師匠様の許可を頂いているものです。

【セルフコーチング⑦】枠を超えた見方・考え方をする方法

今、時代は大きな変転変化の真っ只中にあることは、

誰の目から見ても明らかです。

そして、そのスピードが急速に、とてつもない早さで変わっていく、

と、皆さんも感じていることと思います。

そのような時代の変革期の中で、

私が学んでいたNLPを軸としたBeing sourceの物事の見方・考え方が、

今、このタイミングでとても力になると感じているので、紹介させて頂きます。

このコロナ渦では、よくこんな言葉を聞きます。

「今までの枠の中で考えていてはいけない。

新しい時代を作るには新しい視点が必要だ。」と。

これからの時代、

今までの常識や社会通念をひっくり返すような、真っさらにするような、

そんな物事の見方・考え方を取り入れる必要があるのは、

多くの方が切実に実感している、まさにその真っ只中にあるでしょう。

では、どのような物事の見方・考え方をしたら良いのでしょう?

逆に言うと、今まで私たちはどのような

物事の見方・考え方にとらわれていたのでしょうか?

私たちの物事の見方・考え方の多くは、

善悪価値判断を前提とすることが主流でした。

物事は善し悪しで判断され、正しいこと、間違っていることがあり、

極端に言うと良い人悪い人がいる、という考え方です。

間違ってるや悪い人に分類されてしまったら、

当然、間違っている、悪いところは治さなければいけない、となるわけです。

これは、善悪の価値判断によって、当然のこととされてきました。

そうすると、多くの人が当然、

自分が「正しい」方や「良い人」の方になる為に必死になってしまいます。

自分の「正しさ」や「善良さ」を証明しなければならないのです。

それを証明する為に「間違い」を見つけ、

「悪質」な者を探す必要がでてくるのです。

そして、同じような「正しさ」を持った人同士、

同質な者同士だと、お互いを受容し、安心安全だと感じ、

自分の居場所となるのです。

そして、その居場所の集団が大きければ大きいほど、

最高最善であると勘違いしてしまうのです。

そして、集団化した同質な者同士のグループは、

異質な者を見つけ、驚異だと言って叩いてしまう。

集団化した正義は強さを増し、強烈になるのです。

エスカレートすると子供のいじめや仲間はずれ、

偏見や差別が始まり孤立する人を生み出してしまう。

宗教観の争いや国同士の争い、

しいては戦争までをも引き起こしてしまうのです。

善悪価値判断が前提の状態だと、物事の善し悪し、得か損か、上か下か、

といったことで頭はいっぱいになります。

頭の中には常に「裁判官」がいて、人・物・事を評価判断し、

必要とあらば、裁くことに忙しくなるからです。

そして、無意識にその考え方から、行動すると、

「悪人」や「間違った人」に分類されないような

言動・行動を選んでしまうのです。

これでは、「善人」や「正しさ」という檻の中で生きているようなもの。

そして、その「善人」や「正しさ」の明確な基準値がないままに。

さらには、「悪人」や「間違った人」を必要としてしまうため、

世界に分断を生み出してしまう。正しい人と間違った人という分断を。

コロナ渦で「自粛警察」を生み出してしまうのも、

まさにこの善悪価値判断が前提であるからなのではないでしょうか。

公園で遊んでいる子供達に、「家に帰りなさい」と言い、

くっついている子供達には「離れなさい」「一人で遊びなさい。」

と言う大人達。

今までは、外で遊びなさい、友達と仲良くしなさい、と言っていたのに。

正しさの基準値なんて、その時その瞬間に変わってしまうのです。

本質的な解決策を導くには、まずは規正の概念を取り払う必要があります。

今までの枠の中で考えることをやめるために、

善悪価値判断を前提にした考え方を変えるのです。

まずは、物事や人に対しての善悪価値判断をやめて、次のように考えます。

全ての物事は、必要があってこのようになっているんだ。

全ての人が価値ある存在で、全ての人が役割を持って生まれてきたんだ。

えっ?それだけ?そんな簡単なことなの?

と感じる方もいらっしゃるでしょう。

あるいは、それはとてつもない難しい考え方で

受容れがたいと感じる方もいるかもしれません。

例えば、「農薬は悪だ。野菜は自然に作られた物が正しい」

という考えがあるとします。

実は、私も野菜はなるべくオーガニックの物を選んでいます。

これがエスカレートすると、無農薬・無添加以外のものは

一切受け付けられなくなります。

化学物質アレルギーといった状態にまでなると、

旅行も限られた場所になりますし、

当然、香水や柔軟剤の匂いがする電車などの交通機関

に乗るなんて考えられません!!

私もその状態に陥りそうになった経験があるので、

思わず事例としたのかもしれません。

その考え方にとらわれていると選択できる範囲を狭くしていき、

生きる世界を狭くする一方になるのです。

つまり、善悪価値判断が前提だと、可能性を狭めてしまい、

生きていく世界を狭くしてしまうのです。

悪い物と決めつけてしまっていた

「農薬」を先ほどの前提で考えてみるとどうなるでしょう?

全ての物事は必要があってこのようになっている。

農薬だって、必要があって生み出されたのです。

農薬が開発されたことによって、

多くの人たちを「飢え」から救った時代が確実にあったのです。

以上終わりです。

それ以上、そこにエネルギーを注ぐ必要はありません。

では、人ではどうでしょうか?

マザー・テレサとアドルフヒトラーはどちらが良い人でしょうか?

さて、この問い、今までの善悪価値判断では、

簡単に答えることができると思います。

では、新しい物事の考え方ではいかがでしょうか?

全ての人が価値ある存在で、全ての人が役割を持って生まれてきたんだ。

ゆえに、アドルフヒトラーも価値ある存在で、

役割を持って生まれてきたのです。

第二次世界大戦下の中、彼の役割は、全人類に対する

大きな「目覚まし時計」になったのではないかと考えてみるのです。

人の「恐怖」や「恐れ」を巧みに利用して支配するということが、

どれだけの影響力があるか。

そのようなことを示してくれ、後世に教えてくれたことは、

偉大な教訓になったのではないか、と考えてみるとどうでしょうか。

当然、後世に生きる私たちは彼が残した教訓を生かして、

本当に大事なことはなんなのかを考えるようになると思うのです。

あらゆる物事や人を、「善悪の価値判断」で見ることをやめる。

まずは、そこから始めましょう。

やってみると、案外、細かいことで善悪価値判断している自分

に気づくことになります。

そして、それをやめて、次のように考えます。

全ての物事は、必要があってこのようになっているんだ。

全ての人が価値ある存在で、全ての人が役割を持って生まれてきたんだ。

そのように考えると、

今まで気付かなかった無限の可能性に目を向けられるようになるのです。

今まで見えてなかった世界が見えてきて、認識できる範囲が広がります。

そうなると、自然に本質的な幸せや豊かさを追求したくなるから不思議です。

皆さんも、ぜひ試してみてくださいね。

そして、実は、私たちは多くの場面で「感情」や「気持ち」にも

善悪価値判断をもちこんでいます。

次回はそのことについて言及したいと思います。

長文読んでくださり、ありがとうございました。

感謝を込めて。

【セルフコーチング⑥】コロナウィルスが大きな目覚まし時計だとしたら

新型コロナウィルスの影響で、在宅勤務などを余儀なくされている方も

多いことかと思いますが、いかがお過ごしでしょうか?

または休みたい状況にありながら、なかなかお休みできない方々、

医療従事者・交通・流通・通信・ライフライン・スーパー

のお仕事をされている方には本当に心からの感謝をお伝えしたいと思います。

ありがとうございます。

実は、算命学的に、

今年は大きな変転変化が起きる3年間の集大成の年であるといわれており、

私個人としても、人類が生き方や働き方などを改め変えていく時期

にあるんじゃないかと感じておりました。

その矢先で、今回のコロナウィルス。

大きな意味で、人類に対しての「Wake up call」であり、

実は、私たち一人一人にとっても「Wake up call」

として警笛を鳴らしているように、思わず感じずにはいられません。

もし、コロナウィルスを「大きな目覚まし時計」の役割と解釈するなら、

「どんなことに目覚めるべきなのか」

「本当に大切なものを大切にする本質的な生き方」

とはどんなものなのか、そんな問いが思わず浮かんでしまいます。

実は、この状況下において、

おかげさまで算命学コーチングのお問い合わせが増えているのです。

そして、みなさん個人個人が上記のような考えを口にするようになったのです。

人類にとっては人類としての生き方を、

私たち一人一人にとっては、生き方そのもの、を深く考え、

改めるべきは改める時期なんだと深く深く思い知ることになりました。

ここに、心打たれた一遍の詩をご紹介致します。

こちらの詩はシェア、コピーフリーのものでした。

多くの方がこの詩を知ることを願っております。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

『コロナ・ウィルスから人類への手紙』

ヴィヴィアン・リーチ

地球は囁きました、

でもあなたは耳を貸さなかった

地球は話しました、

でもあなたは聞かなかった

地球は叫びました、

でもあなたは耳を塞いだ

そして、私は生まれました・・・

私はあなたを罰するために

生まれたのではありません・・

私はあなたの目を覚ますために

生まれたのです・・

地球は助けを求めて叫びました・・・

大洪水、でもあなたは聞かなかった

燃え盛る火事、

でもあなたは聞かなかった

猛烈なハリケーン、

でもあなたは聞かなかった

恐ろしい竜巻、

でもあなたは聞かなかった

汚染した水により海の生き物が死んで行く

警鐘を鳴らして氷山は溶けて行く、

厳しい干ばつ、

そんな時、

あなたは地球の声を聞こうとはしなかった

地球が

どれほど悲観的な危機にさらされていても

あなたは聞こうとしなかった

終わりのない戦争

終わりのない貪欲さ

あなたはただ、自分の生活を続けていた

どれだけの憎しみがそこにあろうと

毎日何人が殺されようと

地球があなたに話そうとしていることを

心配するより

最新のiPhoneを持つことの方が大切だった

でも今、私はここにいます

そして、私は世界のその軌道を止めました

ついにあなたに耳を傾けさせました

私はあなたに避難を余儀なくさせました

私はあなたに物質的な考えをやめさせました・・

今、あなたは地球のようになっています

あなたは

自分が生き残ることだけを考えています

どう感じますか?

地球を燃やして・・

私はあなたに熱を与えました

汚染された地球の空気・・

私はあなたに呼吸への課題を与えました

地球が毎日弱って行くように、

私はあなたに弱さを与えました

私はあなたから快適さを取り除きました

あなたの外出

あなたが以前は忘れていた地球とその痛み

そして私は世界を止めました

そして今・・・

中国の空気はきれいになり・・

工場は汚染を地球の空気に

吐き出さなくなり

空は澄み切った青色に

ベニスの水は透明になり

イルカを見ることができます。

なぜなら水を汚していた

ゴンドラを使ってないから

あなたには

自分の人生で大切なものは何かを

考える時間が出来ました

もう一度言います、

私はあなたを罰しているのではありません・・

私はあなたを

目覚めさせるためにここにいるのです

これが全て終わったら私は去ります・・

どうか、

これらの瞬間を覚えておいてください

地球の声を聞いてください

あなたの魂の声を聞いてください

地球を汚さないでください

争うことをやめてください

物質的なことに気を取られないでください

そして、

あなたの隣人を愛し始めてください

地球とその生き物たちを

大切にし始めてください

何故なら、この次、

私はもっと強力になって

帰って来るかもしれないから・・・

コロナ・ウイルスより

Coronavirus’ Letter To Humanity

The earth whispered but you did not hear.

The earth spoke but you did not listen

The earth screamed but you turned her off.

And so I was born…

I was not born to punish you..

I was born to awaken you..

The earth cried out for help…

Massive flooding. But you didn’t listen.

Burning fires. But you didn’t listen.

Strong hurricanes. But you didn’t listen.

Terrifying Tornadoes. But you didn’t listen.

You still don’t listen to the earth when.

Ocean animals are dying due to pollutants in the waters.

Glaciers melting at an alarming rate.

Severe drought.

You didn’t listen to how much negativity the earth is receiving.

Non-stop wars.

Non-stop greed.

You just kept going on with your life..

No matter how much hate there was..

No matter how many killings daily..

It was more important to get that latest iPhone then worry about what the earth was trying to tell you..

But now I am here.

And I’ve made the world stop on its tracks.

I’ve made YOU finally listen.

I’ve made you take refuge.

I’ve made you stop thinking about materialistic things..

Now you are like the earth…

You are only worried about YOUR survival.

How does that feel?

I give you fever.. as the fires burn on earth.

I give you respiratory issues.. has pollution fill the earth air.

I give you weakness as the earth weakens every day.

I took away your comforts..

Your outings.

The things you would use to forget about the planet and its  pain.

And I made the world stop…

And now…

China has better air quality.. Skys are clear blue because factories are not spewing pollution unto the earth’s air.

The water in Venice is clean and dolphins are being seen. Because the gondola boats that pollute the water are not being used.

YOU are having to take time to reflect on what is important in your life.

Again I am not here to punish you.. I am here to Awaken you…

When all this is over and I am gone… Please remember these moments..

Listen to the earth.

Listen to your soul.

Stop Polluting the earth.

Stop Fighting among each other.

Stop caring about materialistic things.

And start loving your neighbors.

Start caring about the earth and all its creatures.

Because next time I may come back even stronger….

Signed,

Coronavirus

Received by: Vivienne R Reich

~Feel free to copy and paste to share

【セルフコーチング⑤】「幸せになる」から「幸せである」へ

前回、

「幸せになる」という表現から「幸せである」という表現に変えて

現実を捉え直してみる、という観点をご紹介しました。

少し復習すると、「幸せになる」という言葉は、

「今は幸せでなく、未来に幸せになる」ということが

無意識・無自覚に表現として含まれてしまっているからです。

さらに、「○○を手に入れれば、幸せになる」あるいは、

「○○を達成すれば、幸せになる」というように、

こちらも無意識・無自覚に幸せを条件付きにしてしまっているのです。

「幸せになる」という表現と「幸せである」人の違いは

「今、ここ」「今、この瞬間」を幸せと感じられるかどうか、なのです。

「幸せである」人は幸せを先送りにしないのです。

それでは、「幸せである」人は目標を立てることや

何かを達成することをしないのでしょうか?

いえいえ。「幸せである人」ももちろん、

人生を豊かに有意義にするような目標や目的を持つこともあります。

ただ、「幸せになる」人が目標や目的が達成できたら幸せになるのに対し、

「幸せである」人は、プロセス、課程そのものを楽しみ、

その中で起きる小さな達成感や充実感を幸せとして味わっているのです。

それでは、どうしたら、「幸せである」人になれるのでしょう?

答えはいたってシンプルです。

「幸せである」ことを許可するのです。

あなたがあなた自身に「幸せである」ことを許すのです。

「幸せである」ことを許可するにはこんな言葉が力になります。

「私は、私が幸せであることを許します。」

「私には、幸せである価値が充分にあります。」

「私は私を幸せにする力を持っています。」

「私は、幸せを感じるに値する人間です。」

「私は、今、この瞬間から幸せを見つけることが出来ます。」

「私は、喜びや楽しみ、嬉しさを実感でき、味わうことができます。」

「私は私を愛しています。」等々・・・・・

これらの言葉をスッキリと受け入れられますか?

それとも、なんだか胸がザワザワしたり、くすぐったい気持ちになったり、

なんとなく受け容れ難いような気持ちになったり、

イライラとする気持ちが起きたりしませんでしたか?

私の経験上、自分を厳しく律し、常識人として、

正しく生きてきた40代・50代の特に高学歴の方達は、

なかなか受け入れられない言葉であるような気がします。

子供の頃から、

「将来のため」「将来のため」と勉強やスポーツに頑張ってきた方達。

良い大学に入るために、寝る間も、友達と遊ぶ間も惜しんで勉強して。

良い大学に入ったら、今度は、良い企業に入るために、

またまた勉強や部活動に熱中して。

良い企業に入ったら、今度は、誰よりも早く昇進しようと躍起になり、

良いポジションを目指して。

良いポジションを得たなら、今度は老後の安定の為に、

少しでも長く会社に在籍できるよう社内政治に奮闘して。

とにかく、

「将来のため」「将来のため」と子供の頃から言われ続けたのですから、

「幸せになる」ために努力をするのは当然と感じていらっしゃるでしょう。

あるいは「幸せ」とは、努力しないと手に入れられないもの、

と感じているかもしれません。

今、目の前にある幸せを実感する間もないほどに、

真面目に真摯に、駆け抜けて頑張って、一生懸命に生きてきた方達。

そんな駆け抜けてきた方達も、少し立ち止まってみませんか。

今、目の前にある「幸せ」を感じても良いのですから。

「幸せ」を感じる力は誰もが充分に持っていますし、

誰もが「幸せ」になる価値があるのです。

五感を開いて、「幸せ」とはどういう感覚なのか味わってみてください。

都会の中にある小さな自然に感動したり、

暖かいミルクティーにほっとしたり、

雨上がりの土の匂いを嗅いでみたり、

初秋の心地よい風を肌で感じてみたり、

街路樹からこぼれる日差しの美しさを眺めたり。

何かの大きな目標や目的に向かっているという充実感。

今、目の前にある小さな目標をひとつづつクリアしていく達成感。

大きな壁にぶち当たったときに、苦しみながらも耐え抜いた自信。

時には、手を差し出して助けてくれる人や、指導してくれる人の存在。

お互いに励まし合い、慰め合いながら苦境の中を共に行く仲間との出会い、

等々。

これも全て「幸せ」であるのです。

何かを達成しなくても、「幸せ」を感じても良いのです。

そして、「幸せ」を感じられる人は

誰かを「幸せ」にすることができる人でもあるのです。

だけどね、「幸せである」ことをどうしても許可できなかったら、

「幸せになる」ために頑張るという選択をしても良いのですよ。

それが、あまりにも自然に身についた生き方だとしたら、

それはそれで良いのです。人生に正解はありませんから。

少しでも、誰かの力や栄養になりますように。

次回は「帝王学」の観点で「幸せである」ことを探求したいと思います。

長文読んでくださり、ありがとうございます。

感謝を込めて。

【セルフコーチング④】少しでも「幸せ恐怖症」と感じたら・・・

私が「幸せ恐怖症」という言葉を知ったのは、あるクライアントさんからの

「わたし、幸せ恐怖症かもしれないです。」という発言からでした。

幸せな状態が不安でたまらなく、幸せだと心が落ち着かなくて、

逃げ出したくなったり、壊したくなるのだそう。

ん?それって、結婚が近づくにつれ不安になる「マリッジブルー」

も当てはまるような気がしてしまいます。

では、どういう状態が幸せ恐怖症なのか、

セルフチェックがあったので、こちらも記載しておきます。

①今までにこの世からいなくなりたいと思う程の辛い経験がある

(失恋・挫折・トラウマなど)

②幸せになるといつまで続くか不安になる

③自分以外誰も信じられない

④友達から恋人に発展できない(恋に踏み出す勇気がない)

⑤マイナス思考で自己肯定感が低い

⑥一人が気楽で、皆と一緒に楽しむことが苦手

⑦楽しい時間を過ごすと不安になる(そわそわしてしまう)

⑧幸せでもないのに、幸せそうなオーラを出したり、演技をしてしまう

⑨自分だけが幸せだと申し訳ない気持ちになる

⑩今の幸せが「夢なんじゃないか」と錯覚してしまうことがある

以上の中で1つでも当てはまる項目があれば、

幸せ恐怖症の疑いがあるのだそうです。

また、幸せ恐怖症予備軍とも考えられるのだそうです。

んんん???

1つでも当てはまったら、「幸せ恐怖症」の疑いや予備軍になってしまうの?

こんな風に具体的に認識したことはなかったけど、

幸せになると不安になるのは、私にも心当たりがあります。

②幸せになるといつまで続くか不安になる

って、誰でも少しは感じるものかと思ってました。

あとは、

⑧の幸せでもないのに、幸せそうなオーラを出したり、演技をしてしまう

も当てはまりそうです。

営業マンとしての仕事が長かったため、

なんとなく幸せそうに振る舞ってた時期があったような気がします。

幸せそうな方が説得力が増すと無意識に思ってたのかしら。

⑨自分だけが幸せだと申し訳ない気持ちになってしまう

なんかは、

身内や親しい友人などが厳しい状況にあると、

自分の幸せな状態が申し訳なくなって話せなくなったり・・・。

「幸せ恐怖症」は程度の差こそあれ、誰が感じてもおかしくない

一般的な心理状態なのかもしれません。

では、どのようにしたら、「幸せ恐怖症」を少しでも克服できるのでしょう。

一般的な方法としては、

・自己肯定感を高める、

・なんでもポジティブに前向きに考える

・感謝の気持ちを伝える

などがあるそうです。

ですが、ここでは、もう少し違う観点で考察したいと思います。

そもそも、「幸せになる」と考えると実は、難しいかもしれません。

「○○になる」という表現が、すでに未来を指しているからです。

現在はそうではないけれど、いつかは幸せになれる、

というようなニュアンスが無自覚に含まれてしまっています。

あるいは、「幸せになる」という表現には、

これまた無自覚に「条件」も付いてしまうものなのです。

「○○大学に合格したら、幸せになる」

「○○の仕事を手に入れたら、幸せになる」

「素敵な彼氏が出来たら、幸せになる」

「結婚したら、幸せになる」

「子供が出来たら、幸せになる」

「2人目が出来たら、幸せになる」

挙げ句の果てには「定年退職したら、自由になって幸せになる」等々・・・

「幸せ」がどんどん先送りになってしまいませんか?

これは、NLPを主軸にしたBeing sourceという学びで得た考え方です。

この学びでは言葉に含まれる些細なニュアンスを、とても大切にしています。

それでは、どうしたら良いのでしょう?

「幸せになる」ではなく「幸せである」

と考え方を変えてみるのです。

「幸せである」とは、どういう感じがしますか?

「今、この時」あるいは「今、この瞬間」「今、ここ」

に焦点が当たっているのが伝わりますでしょうか?

「幸せである」人は、幸せを先送りにしません。

「今、ここ」に幸せを見いだせるからなのです。

「幸せである」人は、幸せを条件付きにしません。

周囲の情報に惑わされず、自分の魂が喜ぶ選択をするからです。

「幸せになる」から「幸せである」に表現を変えてみてください。

「幸せになりたい」から「幸せでありたい」と考えてみてください。

周囲の見え方が少しづつ変わっていくかもしれません。

あなたが幸せでありますように。

次回は「幸せである」ためのヒントを紹介したいと思います。

長文読んでくださり、ありがとうございました。

感謝を込めて。

【セルフコーチング③】何故か上手くいかないことが続くとき

あなたは、どういうわけか上手くいかないことが立て続けに起き、

 

なかなか思うように物事が進まないときはありませんか?

 

 

 

そんなときは「恐れ」や「不安」から行動しているかもしれません。

 

 

 

恐れや不安から行動していると、

起こって欲しくない事柄を避けるようになるため、

どうしても内的緊張感を持ってしまいます。

リラックスした状態でいられないのです。

 

 

 

リラックスできない内的緊張感が続いてしまうと、

どうしても「リスク」の方に目が向き、

常に先の先を読んで、「リスク」を潰そうと思考してしまうのです。

その結果、永遠に終わらない「問題探し」になってしまいます。

 

 

 

「問題」は「問題探し」するところから始まるという訳ですね。

 

 

 

さて、それならば、どのようにすれば良いのでしょうか?

 

 

 

答えは簡単です。

 

 

「恐れ」や「不安」からの行動を逆に

 

「愛」や「安心感」からの行動に変えるだけなのです。

 

 

ほら、簡単ですね。

 

 

なんて、簡単そうに見えて、

 

 

じつは、実際にやってみようと思うと、これがなかなか難しい。

 

 

人間の脳はなんらかの嫌な現実に突き付けられた瞬間、

 

何万分の1秒という早さで「反応」してしまうからです。

 

 

 

 

例えば、仮に「あるお客様への営業活動がうまくいかなかった」とします。

その出来事を目の当たりにした瞬間、背筋に冷や汗のようなものを感じ、

「あ~、もうダメだ。今月は達成できないかもしれない。」という不安な気持ち

が先走り、その嫌な出来事を避けるため、

「何とかして、このお客さんの分を、他のお客さんで埋め合わせしないと・・・。」

と、焦って顧客リストを血眼になって見てしまう。

もちろん、そんな状態で営業しても、売れるわけがありません。

 

 

 

「恐れ」や「不安感」から行動するときの特徴は、

 

過去の体験や「思い込み」によって悪い方向へ「仮説」を立ててしまうのです。

 

その「仮説」が膨大化し、まだ決まっていない未来のことを「決めて」しまう。

 

この流れを何万分の1秒という早さでやってしまっているのですから、

 

自分としては、無意識・無自覚なわけです。

 

もはや「行動」ではなく「反応」といった方が良いかもしれません。

 

「恐れ」や「不安感」からの行動は「習慣化」しやすいこともうなづけます。

 

 

 

 

では、どうしたら良いのでしょうか?

 

 

 

 

それはズバリ、「問題意識」から「目的意識」に変えることです。

 

 

 

「過去」の経験則による「問題・脅威」探しをやめて、

 

「未来」を描いて、自分にとって力となる「ビジョンや夢」

を「目的」とするのです。

 

 

 

先ほども述べたように、問題・脅威から発想すると、

どうしても「内的緊張」が起こり、身体が堅くなったり、

呼吸が浅くなったりしてしまいます。

 

 

 

 

ビジョンや夢といった「目的」から発想すると、

 

自分の内側から「情熱」が沸いてきて、

そのビジョンや夢が「コミットメント」に変わっていきます。

 

そうすると、ドキドキわくわくした気持ちで

手足が勝手に動き出すようなフロー状態も起きやすいのです。

 

 

 

 

「目的意識」に変えるときには「ビジョン・夢」

を描くような問いを持つことです。

 

 

 

例えば、

 

「自分は本来、何を目指したいんだろう?」

 

「この仕事で達成したい夢はなんだろう?」

 

「この商品を売ることによって、どんな未来を描きたいんだろう?」

 

「私が本当に実現したい夢はなんだろう?」

 

「私が本当に実現したい未来は?」

 

「どうすることが、みんなにとって良いことなんだろう?」

 

「そもそも何のために、この仕事をやっているんだろう?」

 

「より良い世の中にするために、自分にできる目の前のことは何だろう?」

 

例のように、思考を「未来」や「ビジョン・夢」の方向にシフトさせるのです。

 

 

 

 

または、ストレートに

 

 

「この仕事は、わたしにとって、どんな目的があるだろう?」

 

と問いても良いかもしれません。

 

 

 

 

それでは、改めて復習します。

 

 

 

上手くいかないことが立て続きに起きてしまうときは、

 

 

 

何かの出来事→恐れや不安の感情が湧き上がってくる→内的緊張感

→未来に対して否定的な解釈→嫌なことを避けようとする

→自分の本領が発揮できず思うような結果を出せない

→結果、何らかの出来事が再び起こる

 

 

といったループを繰り返しているわけです。

 

 

しかも、上記の状態を無意識・無自覚にやってしまっている。

 

 

だとしたら、気付きやすいポイントである「嫌なことを避けようとする思考」

 

 

から転換していき、「目的意識」に変えていきましょう。

 

 

 

よほどの根深い「思い込み」でない限り、

多くの場合、この方法でクリアできるので試してみてくださいね。

 

 

 

長文、読んでくださり、ありがとうございました。

 

 

 

感謝を込めて。

【セルフコーチング②】同じ思考から離れられないとき

みなさんは、同じ考えが頭をグルグルしてしまい、

なかなか離れないと感じるときはありますか?

 

例えば、馬の合わない上司との関係性であったり、

夫婦や親子関係の悩み事であったり、

自分にとって嫌なことを言われたときのセリフだったり・・・。

 

 

同じ思考から離れられない体験は、多くの方が経験していることと思います。

 

 

そんなとき、どのようにしたら、その思考から離れられるのか、

セルフコーチングするときに、とても有効なシンプルな質問をご紹介します。

 

 

それは、本当に至ってシンプル

 

 

同じ考えが頭から離れなくなったとき、

 

 

「この考えは私にとって、「力」や「栄養」になっているか?」

 

 

と問うてみるだけです。

 

 

いたって簡単ですね。

 

 

「Yes」「No」で答えられる選択質問であるため、

瞬時に「Yes」「No」で答えられるのも良いところ。

 

 

「Yes」であれば、その考えをしてもかまわないでしょう。

「No」であるにも関わらず、

それでもグルグルしてしまう場合は逆に質問してみます。

 

 

「この考えをもつことで、私は「力」を奪われていないか?」

 

 

これらの質問についての注意事項は

あくまでも「思考」に焦点を当てること。

 

 

人・事象・環境に焦点をあてないことです。

 

 

例えば、馬の合わない上司との関係性で悩んでいたとします。

 

 

「上司は私にとって、「力」や「栄養」になっているか?」

「この上司のもとで、私は「力」を奪われていないか?」

 

 

と質問すると、自分の人生は「相手次第」「環境次第」になってしまいます。

 

 

それでは、コーチングのそもそもの目的からずれていきます。

コーチングは自分に「力」を取り戻すために行われるべきだからです。

 

 

例えば、こんな風に言い換えて見ると違いが分かると思います。

「上司と馬が合わないという考えを持つことは、

私にとって「力」や「栄養」になっているか?」

あるいは

「この上司と馬が合わないという考えを持つことは、

私から「力」を奪っていないか?」

と問いを立てるのです。

そうすると、こたえが「No」の場合、自ずと「力」や「栄養」に感じるような見方・考え方を探したくなるものです。

 

 

例えば、

 

 

「上司と馬が合わないと考えるよりも、馬が合わない上司であっても良好な関係性を築くにはどうしたら良いのだろう。」

であるとか、

「今後、同じようなタイプの人と協働関係を築くためにも、今、この上司で苦手意識を克服しよう。」

といった具合です。

選択肢や可能性が広がり、自ずとパワーが戻ってくるのが伝わりますでしょうか?

この質問のポイントは、焦点を思考に当てること。

そうすると、自分の人生、「自分次第」で、いかようにも変えられる気がしてくるのです。

 

 

同じ考えが頭をグルグルしたときのシップルな問い、ぜひ試してみてくださいね!

 

 

長文、読んでくださり、ありがとうございます。

【セルフコーチング①】自分が自分のコーチになる

8年程前に「Being source~源として生きる在り方」というセミナーを受講しました。

 

それ以前はCTIジャパンが提供するコーアクティブコーチングで実践的にコーチングを学んできた私でしたが、CTIが提供しているプログラムは体験学習であり、身体や感覚でコーチングを体得する手法なのだと感じていました。

 

 

体験学習の大切さは十分分かってはいるのですが、右脳を多く刺激されると、左脳も使いたくなってしまうもの。

何故、コーチングは効果があるのか?直接ビジネスに関係のない想いや気持ちが大切な本当の理由、など、ずっと知りたいと思っていたところでした。

その答えがこの「Being source~源として生きる在り方」(以下BSと略称)の中にあったのです。

 

BSの学びは本当に豊かでした。質問が体系化されている為、自分で自分をコーチングできるのです。

ここでは、そのBSの学びを経て、私自身がセルフコーチングしてきた事例を紹介していきたいと思います。

悶々とした悩みはあるけれど、コーチをつけるほどではない、と考えている貴方に届きますように。

 

 

第1回目の今日は、BSの基本的な考え方をお伝えします。

 

 

みなさん、突然ですが、「想い」が「実現する」には何が必要だと思いますか?

少し前に「思考は現実化する」といったタイトルの書籍もありましたね。

 

 

BSでは、「想いが現実化する」というのは

「現実を創造する源として存在する」

と考えています。

 

 

では、現実を創造するにはどうしたら良いのでしょう?

 

 

それは

 

 

「感情、思考、行動、言動」を一致させることです。

 

 

もう一度言います。

 

 

「感情、思考、行動、言動」です。

 

 

この4つ全てが一致してくると、「波動」が一貫してきます。

波動とは、オーラとかその人の持ってるエネルギーとか、そんな表現の方が伝わるでしょうか。

 

 

一貫した「波動」は大きな影響力となり、周囲を巻き込む強いエネルギーとなります。

 

 

「一貫した波動をもつ人」として、私がよく例としてあげる世界的なリーダーはマザー・テレサとアドルフ・ヒトラーです。

二人はとても対照的で分かりやすいので、よく例としています。

 

 

「愛」から感情を動かし、思考し、行動し、言葉を発したのはマザー・テレサです。「愛」による波動の一貫性に多くの人達が影響を受けましたね。

 

 

「恐れ」や「不安」「恐怖」といった感情から思考し、行動し、言葉を発したのはアドルフ・ヒトラーです。

その圧倒的に強い一貫性で、多くの人を恐怖で支配する大きな影響力となったのは歴史が表明しています。

 

 

この場はマザー・テレサやアドルフ・ヒトラーのように波動を一貫させて影響力の強い人になりましょう、という話では決してありません。

 

 

波動の一貫性というのは、それほどまでに影響力を持つという、ひとつの事例です。

 

 

では、どうしたら、「感情、思考、行動、言動」を一致させることが出来るのでしょうか?

 

 

それには「感情」がキーポイントになります。

 

 

例えば、新しい事業を始める際、徹底的したマーケティングで市場調査をして、行動も言動も一致していたのに、上手くいかない、なんてことはよくある話ですよね?

多くの方がすでに体験しているかと思いますが、どんなに完璧な準備で言動・行動を一致させ、思考を誤魔化せたとしても、「感情」は誤魔化せないものなのです。

ほんの少しの「不安」や「自信のなさ」から上手くいかなくなる、というのはよくある話です。

 

 

その「感情」のコントロールに必要なのが「コーチング」である、と私は思っております。

 

 

その「不安」や「自信のなさ」がどこからくるものなのか、もしかしたら、ただ癖になってしまっているだけの「思い込み」にすぎないかもしれません。

あるいは、「現実を直視しなさい!」というアラームが「不安」や「自信のなさ」という感情で気付かせてくれているのかもしれません。

そのほんの小さな「不安」や「自信のなさ」としっかり向き合うことで、事前に不安要素を払拭でき成功する、なんてこともあり得るのです。

 

 

コントロールが難しい、と考えられがちな「感情」としっかり向き合うことで、「想い」を「現実」に変えていきましょう。

 

 

今後、この「セルフコーチング」コーナーでは、自分でできる簡単な質問を紹介していきます。

まさに、自分が自分のコーチになる、のです。